BREAK FREE STARS 感想

ヒップホップのとっても楽しいショーケース、あるいはヒップホップ教の神話だった。

 

楽しいアトラクションでヒップホップの要素が詰まってて照明含む舞台セットがリッチ。後ろのほうの座席でも視界が開けており全景で観られておもしろかったが、前方席だと没入感があってより一層楽しいだろうな~。

ダブルダッチやらリアルタイム映像+ダンスの合わせ技なども含め、筋立てに沿ってあらゆるパフォーマンスが観られて嬉しいし、ヒップホップってたのCのアトラクション舞台でよかった。

 

あらすじは、ヒップホップってなんか悪そうだから禁止という悪法によって収監されたヒップホップスターたちがヒップホップの力で刑務官たちの心を溶かしたり脱獄したりして、刑務官側に行ってしまったかつての友を呼び戻し法律も撤廃されるという、とてもシンプルなもの。「すべてを吹き飛ばす力、それがヒップホップ!」をパフォーマンスで魅せ、ストーリーで人間の感情の機微をやるのはむしろ邪魔というくらいの気概を感じたが、そのおかげで発生する妙味がある。

 

囚人側は徹底してヒップホップが善という思想を貫いていて強固でゆるぎなく、パフォーマンスによって表現される熱量がグルーヴを生み周囲が感化されていくという流れなので、葛藤・変化・人間ドラマは敵対する刑務官たちや、法に正攻法で立ち向かうが挫折するオーナーに発生するのでそっちに情が傾いちゃう。

 

囚人側はヒップホップスター、ヒップホップに目覚めたそのときからずっとヒップホップとともにあり、どこにいようと膝を折らないの、見た目はワルだがかなり高潔なんだよな。ヒップホップ禁止条例という悪政を打ち倒さず民意を味方に付けるやりかたをするのも、囚人側のバックボーンが描かれずにキャラクターというよりスター概念として存在するのも……と考えていて、これって信仰者の側から観た物語だし、神話や英雄譚のつくりなのだなと思った。

もちろん英雄の前には困難が現れるのだが、ただひたすらそれをクリアしていき「ヒップホップは犯罪じゃない」という思想が揺るがされることはないのがかなりそれ。

 

そういえば客入れのとき、舞台はスクリーンで隠されているんだけれど、クラシックな劇場のように幕が降りている映像が映されており、オーケストラのチューニング音が聞こえて「あれ?生音でやるの?」と思ったな。幕を開ければブレードランナー的近未来が始まるのでそのギャップのおもしろさを狙っているのだな~と認識していたが、味付けとしては近未来ですが古典をやりますよということかもしれないな。うがった見方かもしれませんが。

 

そういう風に見えちゃうのは、うしろのほうで観たのでキャラクターの見分けがつけづらかったのもある。

事前に出ていたブロマイド衣裳ではかなりキャラ付けされているようだったが、本番はフォルムも色味もみんな似ているので、より群としてのスターたちvs刑務官たちという印象が強かった。メインの二人ですら来歴の掘り下げは最低限なので、キャラクターというよりも抽象化したものをみせる意図なのかなという気もするが、本当はどうかわからない。

私情100%で言うと、見分けとか意図とかはどうでもよく、ただただシャツ+ベスト姿のインテリヒップホップスター・キョウが観たかったよ~! あの衣裳で踊ったらベストの背中がびりびりになるよと言われたが、そこはまあなんとかがんばってもろて。

 

話がそれたが、ヒップホップというものの力を真正面から信じている人じゃないと作れない舞台だし、ヒプステを通じてその姿勢を見てきた人たちが客席にいて、あれだけの人数がヒップホップの入り口に立っている状況を作り出したのってすごいことだなあと思う。

最遊記歌劇伝-外伝- 感想

最遊記という作品、歌劇伝という舞台にめちゃめちゃ思い入れのある人たちの作る実質完結編、そりゃあよく、期待していたものが期待していた以上の密度で出でてきて笑い、べちょべちょに泣き……

 

いつもながら舞台装置の動かし方がえげつなくて、よくあんな……機構自体はシンプルな、左右対象の二階建ての櫓が回転するというものなのですが、戸板で壁を作ったり外したりして通路を作ったり、役者が階段を上っている間に回転させて二階に抜けさせたり、どういう頭をしていたら三時間みっちりこんなミザンスをつけられるのか不明、すごすぎる。三浦さんの演出で楽しいところはたくさん挙げられるのですが、空間把握能力がものすごく高く、出ハケの冗長さが一切ない心地いい場面転換をやってるところは楽しい通り越して圧倒される。これが見たくて来てる部分もあり、毎度はしゃいでしまう。

 

今回の期待その2、ラストシーンは四人揃って三蔵一行の姿で出てくるに違いないと思っていましたが、その通りに悟空へ手を差し伸べる三蔵で四人がそろってgo to the westを歌い無印に戻るの、物語の円環が閉じていて美しい完結編のありかただった。

毎度公演ごとに最高のドカ盛りメドレーverに比べると、ベーシックなgo to the westってものすごくシンプルで、それが原点回帰という感がとてもあってね。そこにいるのも三蔵一行、観世音菩薩、光明、二郎神(うじすけさんは絶対に出さないといけないもんね~!)、烏(烏哭……そして橋本さん……)の最もシンプルな歌劇伝の布陣で、それに返ったらもうこれ以上やりようがないじゃん。ここに出すため三上さんを全日ゲストにするのすげえことするが、とても正しいな……。出してくれてありがとうね……カーテンコールのはけぎわにタイソンさんとなかよくたのしそうだったのもよかったし。

go to the westで言うとお話の中での本歌取りもよくて、桜の下での四人での酒盛りにgo to the westのフレーズを持ってきて、桜の下で再会しましょうにリフレインするのも美しかった。

 

勿論今回単独でもお話がよくて、今回限りのキャラクターもとてもよかった。哪吒も観世音菩薩もあまりにも峰倉先生の描くシルエットそのままでびっくりしちゃった。漫画ってシルエットでも誰かわかるように作るのが大事なんだと思いますが、舞台でもばっちりそれをやっていておもしろいな~

一方でうじすけさんは二郎神のフォルムじゃないのですが、うじすけさんは出さないといけないからな。でてくれてよかった~

 

しかし歌劇伝見ると毎回漫画のサブテキストのように漫画のことがわかるようになった!ってなるんですが、今回は観世音菩薩と敖潤がわかるようになりました。

観世音菩薩、前半まで観て、なんだよ……強いのに何もしてくれねえな……と思ってたら、最後まで観てべっちょべちょになっていたのでそりゃあしかたないなになっちゃった。あんなにも情にあふれた中間管理職でやりたいこと何もできず、ずーっとやけくそでひょうひょうとしている人だと初めて知ったな。これから漫画読んでも見る目が変わってしまうよ。

敖潤は敖潤で、漫画だとあまり表情が動かないのでそんなに四人に対しての情があるのかあ、という感じがしていたのですが、情はありまくりだったな。人質になっている間にすっかり四人のことすきになっちゃって……しかしそれってストックホルム症候群じゃないか?だいじょうぶ?

敖潤って全編かなり気の毒でかわいくてよかったな。しっとりしたお歌をうたっているときにまわりで要らんこと100されて抗議するの本当に最高のナンバーだったし。アンパンマンに映画泥棒にエレベータ前の刺客、もうしょうもないにしょうもないがやっぱり演劇の要らんことっておもしろいんだよな。

天蓬も捲簾も要らんことばかり話してて、話なんてなんでもよくて、なにかを覚えていてくれればそれでいいという意味のことを言っていたし。生きること、要らんことばかりの積み重ねかもしれんね。ぜんぶ要るし覚えているよ~!

ALTAR BOYZ2023 teamSPARK感想

19からアルターボーイズに入って、21スパークが親の人間による、23スパークも大好きになっちゃった、ありがとうの感想です。

 

スパークというチームの魅力、21を経て、ルーク・フアン・アブラハムの三人が屋台骨となり、マシューとマークを迎え入れるシステムになっているのが他のチームになくてとてもおもしろい。お互いにフォローしあうフレンドリーで安心感のある雰囲気は共通しているけれど、21と23でカラーはガラッと違う。

 

今回、初日から余裕を感じさせる鍵本マシューに、アルター経験者で肝の据わった若松マークの二人をいろどるようお茶目でにぎやかなおにいさんたちの構成、かなり安定していて、ちょっと俗っぽく仲良しのがっちりアイドルグループのチームだ。

メインで歌ったり話したりしている人の後ろで各々がちょいちょいコミュニケーションを取っているのが、小ネタというよりいつものやりとりという雰囲気がある。ささいなことから彼らのこれまでの関係性を感じさせるので「知ってる曲をやっている知らないグループのツアーファイナルだ~!」となりました。

 

ミュージカル畑の人が若松くんに川原さん、アイドルやグループ活動をしているのが鍵本さん・米原さん・和田さんと、ステージ慣れしている人が多いからか、アイドルっぽく見える。

 

鍵本マシューが己のちょっとしたミスもセルフフォローして立て直すのがはやく、クラスの人気者で学校では中心人物のアイドルだったんだろうな~というキャラクター、みんながふざけて乗りやすい雰囲気が自然とできている。

若松くんのマークは期待していた通りに愛らしくてお茶目で芯が強く、さすがの歌声だった。マシューに対してはアイドルのファンっぽい感じで来るかなと思っていたのですが恋!全開でエンジェルちゃんとのタオルの奪い合いが本気でニコニコしてしまった。

他人が本命からファンサを受けてどちゃどちゃになっているところを見るのが大好きなので、ステージ上でどちゃになっているファンを見放題で楽しかった。

川原さんのルークがはつらつで全開にパワフルで陽気なルークで、鍵本マシューが飼い主をやってくれているのでおおきなゴールデンレトリーバーとして生き生きしていた。しかしEVERYBODY FITSの前口上から歌に切り替わるといきなりセクシーすぎてびっくりしてしまう。

フアンちゃんも今年はおにいさん分は控え目でルークときゃっきゃ遊んでるキュートと関西人感が強くツッコミ多く楽しくてね、でも何度見ても何が起こるかもすべて知っているのに、LA VIDAが来るとべっちょべちょに泣いてしまうな……

すごーく印象に残ったのがアブちゃんで、21のときはみんながソロ契約の告白をしているときにはまっすぐ前を向いたまま全て受け入れて、みんながどうあっても自分はこのグループに残るしファミリーだという悟ったみんなのおにいさんだったのが、今回ひとりひとりの告白にしっかり傷ついていて、I believeも自分に言い聞かせるような調子でとても表象の感情が豊かで愛らしかったな……しぼりだすような歌いかたもとても合っていたし。

 

これまでのスパークのよさはそのままに新しいチームとして既に完成していてすごいな。これからどう進化(成長)していくんだろう。21スパークが親なのでどうしても比較してしまう、大丈夫かな……と思っていたのだが、まったく別物として大好きなチームだ。ありがとう。

x純文学少女歌劇団 File No.0001『マエストロには背を向けよ』感想

今回もストレートに女性のための革命の話だし、いい入れ子構造だしでありがたい。

歌劇団のルールは「真実を闇に葬ったって、それはすべて演技だったと言えばいい。時には本音を織り交ぜながら歌うことだって許される」「ここでの告白はすべて演技、たとえそれが、真実だとしても」なので、x純文学少女歌劇団という作品自体が、虚構に紛れこませて本音を言うことというたてつけになっている。

 

そのうえで1幕と2幕で彼女たちの振る舞い方が全然違うんだよな~

1幕は芝居なので「観られている」という自覚がなく、彼女たちは自然体(に見える姿)で秘密を開示するし関係はひりついている。少女たちの置かれている立場はあからさまにアイドルの現状の比喩で、剝奪された自由の権利を取り戻すための革命を阻害されている話をやっている。彼女たちの境遇は父親が先生と不倫してたり使用人が先輩と夜遊びしてたりシビアでせちがらく、まじめに従順にやれば生徒のトップになるがめちゃめちゃ損をする、自由を訴えれば抑圧される、搾取され分断されとるんだぞをやっている。

2幕は彼女たちに客席が「見えている」ので、彼女たちは明るく楽しく仲の良い姿で歌い踊っている。ちょっとした秘密を見せるけれど、それはNo0000で言う「 女の子はいつでも秘密を持ち演じなければならない。教師にはそう教えられた。ただしその秘密はバレやすく、泣けば解決するようなもの」である。本当の秘密は見せっこない。マリア先生やおねえさまが日替わりで出てきているのも楽しい茶番だ。パフォーマンスとしての「こわ~い」で全員好きにさせちゃう。

とても楽しいんだけれど1幕では冗談にできない切実なことすら2幕では彼女たち自身が己を「キャラ」として提示し消費させにかかっているのが空寒い気持ちにもなる。「キスで目覚めない人生認めてくれよ」を訴えている彼女たちがくったくなく純文学少女=アイドルをやってるのどう受け止めればいいんだ……? セイラがMCとして「ぜんぶ本当のことを言ってる」というような意味のことを発するので、1幕を踏まえて観ると逆説的に「2幕はぜんぶうそ」になるし……

 

もっとも1幕の彼女たちも実はあれが「芝居」ということに自覚的で、見せられる範囲での秘密しか開示していないのかもしれません。

私は「x純文学少女歌劇団」というコンテンツの階層の仕立て方を

0:生身の人間(舞台裏/客からの視認不可)

1:アイドル(接触時の姿)

2:キャラクター(1幕)

3:演技をするキャラクター(2幕)

と認識していますが、もしかすると

0:生身の人間(舞台裏/客からの視認不可)

1:アイドル(接触時の姿)

2:キャラクター(舞台裏/客からの視認不可)

3:演技をするキャラクター(1幕)

4:演技をしている演技をするキャラクター(2幕)

という形なのかもしれない。演技をしていない状態でのアリスやモモをはじめとする少女たちは我々の前に出てくることはなく、1幕はドキュメンタリーではなく彼女たちが現実に体験した別の真実をお話の形に作り替えて提示している虚構なのではないかな。

もっとも我々はあれを真実として信じることしかできないが。お話を最後まで観たら何が真実なのか分かるかもしれないしひとつもわからないままかもしれない。

 

お話とキャラクターのこともちょっと触れたい。やっぱり今回も秘密を知ると不幸になるというルールが敷かれていていいね……。

めちゃめちゃ威圧的なヤンキーの先輩として現れたメグおねえさまだったけど、狭い世界での支配者だったのは過去のこと、すぐさますでにひみつを知ってしまった側の存在としてひたすら苦しんでいる姿が開示されまくり、果てには緑色の栄養材のような毒のようなものを自ら服用していて……よくない気持ちになりました。ヤンキーの先輩には一生天下を取っていてほしいのですが……

セイラは不当な手段でおともだちを得たので贖罪のきもちがあってかなりかわいい。いい役だった。

あとリンゴさんが特に好きなのですが、黒髪センターパートの美女のビジュアルで、友達がいなくても構わずガンギマリの女を戦略的にやっていてクレバーな女の性格が乗っかっているので最高になってしまう。今回も怖いおねえさまにも臆せず、事態がヤバくなると目をかっぴらいてわけわからんことを言うことで煙に巻いてくれたし。

 

2幕、さっきアイドル消費をどう受け止めればいい……?という意味のことを書いたが、パフォーマンスとしてとてもたのしい。前回と違って制服姿で踊ってくれたのも、劇中歌も多かったのでうれしかった。やっぱり制服ディティールが凝っていて超かわいいし、No.0000の楽曲も好きだし。

そして生徒会長のいうことは~ぜったーい!をコール&レスポンスできて嬉しかった。王様のいうことはぜったーい! 王様の言うことは……絶対なんだよな……

やっぱりなににせよ革命は成功してほしいよ~歌劇団は王子様へ奉仕するためにあるのではなく、彼女たちが秘密を明らかにして団結するためにあるのだと思うし。アイドルとしての彼女たちを応援している人からすれば永遠に終わってほしくないのだろうとわかっていても、彼女たちがちゃんと終わりを迎える姿を観たいと願ってしまう。今のままだと未来が決まってしまうんだったら何か動いたほうがきっといい。どこへも辿り着けなくてもそこよりはましだろうしね。

新約LILIUM 感想(追記:ハロプロ版感想)

ひどい話を期待して行って、上手な役者陣いい歌すばらしい衣装で期待通りのめくるめくひどい話が展開されるので、よっ!ひどい話!とニコニコしていた。

TRUMPシリーズを映像で飛び飛び見ている程度の理解ですが、末満さんの書く話ってひどいことがたくさん起こりまくるものの、俯瞰の視点で描かれていてドライだなと感じる。見せ方が叙事詩的というか。今回のはじ繭で黒世界がラインナップされたことで、リリーの今後を周知しLILIUMを前日譚として味わうことができるのもそう。苦しみの渦中の人々へフォーカスを当てるというか、こういった行いの結果こうなったという因果を説明しているので、悲劇に対して「もうやめてくれ~!」というより「そりゃあ……そう、そりゃあそうなるな……しゃあないですね……」という理解になる。今回、リリーがひとりぼっちになったのは気の毒だが、みんなに「不老不死、やりたい?」と確認せず、ファルスに一矢報いてやろうと勝手に殺しちゃったのが原因だし……。

やっぱりみんな本当にまじめなせいで酷いことが起きているな。ソフィからしていくら金も時間もあるとはいえ、何百年もこつこつと成功するかわからないというのに、己の血液から薬をつくって忘れずにちまちま与えるマメなことを投げ出さず延々と続けていてね。ダンピールの頃から変わらず勤勉ではあるせいでこんなことに……。リリーもおとなしくて博愛の人ではあるが、ものすごく頑固で強烈に責任感も意思も強いせいでこんなことに……みんな~適当に生きろ~!

あとLILIUMには「不用意な生殖をすな!」のポイントがなかったのもストレスがなく助かった。なんでそこだけはみんな適当というか超うかつなんだ。

 

だいたいのこと「そりゃしゃあないな……」&「ひどくてきれいでたのしい~!」と思いながら観ていたが、マリーゴールドにとっての生き甲斐で唯一の友達で自分の「すべて」にしているリリーと自分の憎んでいるスノウとが、自分の眼前で二人こそが親友で自分は蚊帳の外でしかないことがわかるというくだりは「ひどいことすな!」と素直に思った。なんて残酷なことをするんだ……。マリーゴールド、あの作中でひとりだけ、そこにいる生きている人間へちゃんと執着の姿を見せているから同情を寄せてしまう。

 

幸い近めのお席で見られたので、役者さんの演技や音圧ももちろん、衣装のディティールがよく見えて嬉しかった。本当にリッチで美しく素晴らしかったな~。Dior展の試作品の部屋を思わせる、まだ何者でもないいきものたちの衣装としてとてもマッチしているし、どの人物も顔を隠してしまうと紛れてしまうのも群のいきものたちといういう感じがしてよかった。衣装展開催してほしいな~、じっくり見たい。

 

あとは本当にただ楽しかっただけの話ですが、姫ねえさまのくだりがだーいすき。無邪気な繭期でかわいいし、親衛隊を自分のカリスマで獲得していてすばらしいよ。もっと姫ねえさまのソロステージを見せて~になってしまう、惜しい人をなくした。

 

追記:ハロプロ版を観ました(20230504)

ハロプロ版リリウム、今まで見たトランプシリーズのなかで一番好きだ……!

まずみんな芝居も歌もうますぎてびびった。ローティーンのハイレベルな役者さんが奇跡的にハロプロにたくさんそろっていたからこそ、十代が演じる意味と完成度の高さが両立する作品となったもの、観られてよかった。

初演と新約で重要なシーンの戯曲や立ち位置等の演出が同じ部分が多いからこそ空気感の差異が際立った。旧約版って「かつてほんとにあったこと」で、新約版はそれをもとにして作ったお芝居くらいの違いがある。

 

新約版の整然とした迫力や贅沢な衣装は完成されたよさがあるが、想定された年齢通りの思春期の子たちが演じる生っぽさ、得難いな……鬼ごっこをしていたり犬の子のように重なって遊んでいて違和感のない年ごろの子たちが演じると、こんなにも「ほんもの」の空気が満ちるのか。

 

初演ファルスはこどものまま時が止まってさみしいだけで動いている不老不死の生き物っぽさが強く「時間だけはあるからね」の部分も、さみしかったならしょうがないな……またがんばるんだよ……という気持ちになってしまった。新約のファルスちゃんはもちもちキュートだが、ある程度成熟した思考をもったままこどものロールをしていて、回りも同じ目にあっちゃえばいいという無邪気な悪意が感じられる分邪悪だな……

 

逆に初演スノウは見た目十代で八百年生きてきた自覚のある女性に見えるし……マリーゴールドは孤独なこどもの顔からガチミュージカル歌唱が出てくるし……リリーは黑世界の時点でもうふつうに好きだし……リリーとスノウとマリーゴールドが三人で歌う場面、迫力でも演技でも新約にひけをとらないすばらしさだった。繰り返しになりますがなんでこんな芝居の爆裂うまい十代半ばの人たちがアイドルとして同グループに所属しているんだ……わたしもハロプロのオタクをやっていたところ、これにいきなり激突されてめちゃめちゃになるという事象が発生したかった。

舞台ダブル 感想 

 

※原作漫画の内容にもけっこう触れてます

 

原作で発生しているエピソードはほぼ変更ないまま全く違う話をやっている。

表現媒体に応じて作品を最適な形に翻案している、演劇が題材の作品を演劇でやるということに対してものすごく真摯な舞台化で、しかもそれがしっかりおもしろい!

とっても嬉しかったので感想です。

 

原作漫画ダブル、かなり真剣に連載を追っている作品なので舞台化の報から戦々恐々だったのですが、つか作品も劇団の作演もやっていて若手俳優の演出がうまい中屋敷さんだし、開演してからの野田先生の盛り上がりを見て「信じるぞ!」の気持ちで向かってよかった。

ロビー真正面につかこうへいの写真&野田彩子画の「初級」ポスターが掲示されているし、紀伊国屋ホール小屋入りシーンの原画が飾られているし制作陣の「ここでやる意義」をガンガンに感じられて、もうこれは委ねようという気持ちになりました。

 

幕が開いたらまず舞台セットが多家良の部屋の具象だったのに驚き、全編通して一切部屋からでなかったことに二度驚いた。

舞台でよくある回想シーンみたいな小技を間に挟むこともなく、過去のできごとや部屋の外で起こったエピソードは登場人物のやりとりで説明されてお話は本当に部屋の中で完結していて脚本が上手。

この原作なのだから本番や稽古のシーンがほしくなりそうなところなのに、それを切り捨てていて潔い。でも舞台人たちが四六時中どこでも芝居をしてるし芝居の話をしているという形で劇中劇をとりいれるし、ちゃんとずっと演劇の話をやっていた。

舞台設定が多家良の家という、プライベートな空間なのも「意味」でよかったな。家主の多家良と一定以上の関係値の人しか入れないという制約があるため、ストーリーは多家良視点となるし語られる内容に自然と順位がつく。友仁さんとの関係が第一にあり、それと絡み合って演劇があり、その周縁に自分と関わる人間たちというグラデーションがあり、二時間で語る情報が整理されているのも発明じゃんと思いました。この形式を考えた人、本当にすごい。

 

余談ですが私は原作漫画ダブルの監督や演出家たちの描かれかたが好きです。演劇漫画における演出ってしばしば部活ものの顧問のように作品のための指導者として描かれがちなのですが、ダブルだと、それぞれものすごい実力者だったり、意見が対立しがちだったり、はたまた頼りなかったりと能力も性質もさまざまな人たち、決定権はあるけど俳優と同じ作品の制作者として描かれているのがとてもいい。

特に華江は亡き夫の跡を継ぐ形で演出家をしている中年の演出家で、こいつ演出で大丈夫なんか……?というところから、描写が進むとどんどん魅力的になっていく。「夫の再現でなく自分の表現をする」とふっきれた覚醒後は、役者に与える解釈のヒントも客に提示するビジュアルも意図が明確でセンスが良くて最高の女……

私は最近の漫画ダブルは「華江の初級、絶対成功してくれ〜!」と真剣に読んでいるので、推しはといわれれば華江です。劇場の客席入り口までの階段に華江が生き生きしていてめちゃいいシーンの複製原画が貼ってあり最高だったね。みんなみた?

なのでキャスト発表のときに「黒津監督は?華江は!?」となりましたが、結果的に全カットだったのはかなりよい判断だと思う。舞台だけ見ると華江は横暴な演出家に見えるが華江の覚醒はこれからだし、多家良の目から見る華江ってこんなもんだからなという納得がある。

漫画ダブルは舞台役者を主人公に据えて映画や演劇の制作場面も含めて人生のあらゆる場面を描いているが、舞台ダブルは舞台役者の舞台下に焦点を絞った話だもんね。

 

だから舞台ダブルの登場人物たちはこれだけ客に見られながら、一度も客の前に立ってないんだよな〜。そのため多家良が天才として客前にあらわれることもなくて、役者仲間に天才と言われたところで本人には全く響いていないことがわかる。

和田さんってフォルムはめちゃめちゃ多家良ですが、多家良にしては狂気がなく社会性がある印象を受けた。あの家の中=多家良の自認では、あれくらい他者と意味の通った受け答えをしているし、ちゃんと人間として生きているのかもしれない。今回の和田さんの芝居でよかったなと思うところって長い手足をもて余したような立ち姿やら目付きやらたたずまいの細やかな面で、天才ではない、途方にくれた男としての存在のしかたがハマってた。

一方でつかこうへいナイズな大声の芝居は喉が潰れてて大声出すの苦しそうだな~、という印象が強かった。井澤勇貴さんはケレンある口上をさらりとこなすし、友仁さんは発声も立ち方も基礎をやっている人が発散芝居やってるのが一目でわかり文句なしに抜群にうまい。

和田多家良、劇中劇よりも「芝居が好きで友仁さんが好きでずっと芝居にかじりついていたらなぜか売れちゃった……という男」という生身の人間としての宝田多家良の芝居が似合うので、舞台ダブルの立て付けにそぐうのだよな。スズナリで友仁さんを初めてみつけたときの顔こそが一番いいし、多家良一人称視点の多家良としてのありようではベスト。

 

しかし多家良視点の話だとすると、やっぱり友仁さんって芝居がめちゃめちゃにうまくて多家良にやさしくて世界で一番格好いいんだな……

多家良にソリョーヌイの香水のくだりの演技をさせる直前に背後から顎へ手を添えるときの目つき(ダブル2巻の表紙そのものですげえ!)や、ラストの鍋のシーンあたりのびっくりするくらい陰のある色っぽい顔、これまで「ふつうの男」「天才に嫉妬する凡才」の顔をしていたのが嘘のようにあやしい色気のある男になるのですごかった。役者ってすげ~。これはまあ……好きになっちゃうよな……一番輝いてたから……

役者ってすげ~だと飯谷さんも本当にすごかった。出てくるたび一瞬で空気を変えるしなにもかも持ってくし、彼がいないと話が回らないし。後輩に借金してへらへらしている馴れ馴れしいダメな先輩でもあるんだが、人を素直に褒めるしチャーミングだし「憎めない」が端々から伝わってきて本当に永島さんはすごい。作中で友仁と九十九さんが多家良に対し自分たちを「カレーライスの福神漬」と例えており、井澤さんはパンフレットで飯谷さんをさして「福神漬がないとイヤ」と言ってましたが私はこの福神漬ばかりおなかいっぱいたべたいよ。

そう、井澤さんもいい役だったな~

愛嬌がありハンサムで売れている芸能人だが、なんか全体的にちょっとずつ損している。それでも芝居を愛し楽しく明るく朗らかに生きていていいやつだ。友仁たちをたきつけて読み合わせさせてトイレのドアからこっそりのぞいている一番いいシーンも最高。一回ものすごくいい席に座れて多家良と友仁の頭の間から九十九さんがのぞいている画角でそれを見られてとてもよかった。

井澤さん、原作の九十九さんとは全然違うのでキャスト発表のときは意外だったのですが、蓋を開けてみたら原作の九十九さんとは全然違うのに、まさに九十九さんとしか言えない存在のしかたをしていてはまり役だった。

全員書いちゃうが、アキちゃんの造形、男に都合のいい女でもちょっと嫌な女でもなく、場への気遣いと我欲と友仁へ対する隠せない「コイツ……嫌いだな……」がいい匙加減で、すごく現実味のある存在感だった。現実に「いる」女で芝居がうめ~し、役者さん19歳!?になりました。すごすぎ。これから更に躍進されるの楽しみだなあ。冷田さんに普通に懐いているしお互いくっついて買い物行く塩梅も二人ともナチュラルで生身の感じが脚本と相まってよかった。女子同士だからねというか、あの面子だと年上のしっかりしたお姉さんの側が居やすいよねという空気がリアルで。

冷田さん、漫画よりも表情がくるくる動いててノリがよくて親身、漫画のおもしろいこと言ってても表情が大きく動かない冷静な雰囲気と結構違うんですが、これも多家良の視点だとこう見えていると思うとかわいくなっちゃうな。キュートでチャーミングな冷田さん。多家良は漫画内で冷田さんって友仁に似てると言ってるし。

 

思い返すに今回の役者さん、原作の印象を忠実に再現するのでなく、見た目も性格も役者本人の持ち味を強く出して舞台版としてのキャラクターをやっていたのも好きなタイプの舞台化だった。黒津監督は「役者同士の関係性はどうしたって芝居に反映される」といい、華江は「演者と役、2つの人生が板の上で重なって芝居が生まれる」と言ってた。演出の考え方が具体化された形の舞台化でよかったな……。

 

いや、主演の二人は見た目や体格もかなり原作ママだったな。メインビジュアル初出のときも「画:野田彩子の絵じゃん!」思いましたが、お互い座っているときのたたずまい、シルエットが野田先生の絵そのもので、だからこそ改めてこの二人って距離感がヤベえなということがわかりました。原作を見た目から再現することで発生する説得力がある。

前述の通り原作ダブルを熱心に読んでいますが、漫画自体がめちゃくちゃおもしれ~の次の感情として、前のめりポイントは「初級はどのような完成になるんだ、華江、成功してくれ~!」という部分なので、多家良と友仁のお互いへの感情に関しては、主人公たちだから最後で絶対に何かしらの解が提示されるだろうという安心感もあり「他人の恋……」という引きの目線で見ています。

なので多家良と友仁の関係が眼前で演じられることで、交際していない成人同士の世話の焼き方焼かれ方や懐きかたじゃなく、距離感がバグすぎていることが理解させられた。生身の人間って情報量が多い。

言葉を選ばずに言うと……多家良と友仁の距離ってキショいなと……。黒津監督が「そんな好きなら一回セックスしてみろ」的なことを言っていたのは本当に正しい。交際は別にしてもしなくてもいいが、寝てないであのべたべたしたパーソナルスペースゼロのグルーミングさあ……そのいびつさがダイレクトに伝わってくるの、生身の肉体がその場で演じるから発生するリアルな距離、芝居っておもしろいな~。

性欲があるのにおれはプラトニックをしますと言うのも、告白はするなと言いながら相手のことはぐじゃぐじゃに甘やかすのも、舞台をやり一流の役者になることでお互いのことをいつか全て知りたいし相手の全てになりたいねと言うのも、ぜ~~んぶキショいタイプの恋で最高すぎる。九十九さん、おまえらキツいよといいながら友達として付き合ってくれていて本当にいいやつだ。

今回のエンディング、実のところ初級をどのように作っていくかもお互いの関係性についてもな~んも解決していないまま、これからもず~っと芝居をしていこうね、おたがいにぜんぶわかりあうために~HAPPY END~で多家良からすれば夢のような話だ。友仁さんがおまえと芝居で対等になりたいねと言ってくれりゃそれは「いつまでも幸せに暮らしました」なんだろうな……多家良の部屋で、多家良の部屋というミニマムな場で起こる大団円としてこれ以上のものはない。

これって漫画の多家良と友仁だとありえないけど、舞台の二人だとそうなるなと思える展開なので、メディアミックスのよさを感じた。舞台友仁さんって原作よりベタ甘でね……。玉置さんの演じる友仁って漫画よりやわらかくて気難しいところが少ないし、脚本自体も友仁さんが多家良の一人暮らしの部屋に出入りしている具合が原作より多い。それに黒津監督編が描かれないので、多家良が友仁を「捨てた」のくだりがない。癒着が強い世界線として存在している二人だから説得力がある。一作の舞台作品として完結し、その作品ならではのエンドマークがちゃんとついているいい作品だった。