『Multi-Unit Apartment N*2』感想

マルチユニットアパートメントを観てきました。うれし~~~!!!マルアパ、最高~~~~!!!
感想、言うたらこれでぜんぶなのですが、ありがとう、おれたちのためにおれたちのための一番いい作品を、一番すきな作演出家につくってもらえてこんなに幸福なことはないので、三浦香さんへの感謝のためにおぼえているうちにできる限り感想を書きます。
マルチユニットアパートメントが好きそうな全員にマルチユニットアパートメントを観てほしい。

なにもかも楽しくてぎゅうぎゅうにあらゆることが詰まってる。
オールメールのオールフィメールで、ホームコメディとライブショーとスパイアクション(予定)をそのままヤー!とドッキングさせた違法建て増し盛りだくさんの舞台、いつだって無限にガチャガチャしてどこ見ても楽しいのがとっても嬉しい。顧客が最も観たかった舞台です。千秋楽の次の瞬間からN*3をやっていただけないでしょうか。この世にマルチユニットアパートメントみたいな作品はマルチユニットアパートメントしかないんだ……!

メイン三人とアパートメントの基本設定ご紹介が済んでいるぶん、前回よりもドラマがぎゅっとしていて笑える部分がさらにパワーアップしており、人数も少ないのにそれを感じさせなかった。思い返せばイザベラに子がいるという話はビビスタでわかるし、クロエがオスカーの姉なことも発表された兄弟構成から察することができるし、何か陰謀が渦巻いていることもわかるのに、観ているとわ~!!!!そんなことが!!!となるし展開に振り回されて感情を揺さぶられながらも納得しかない。
また、前回から引き続き、はちゃめちゃな性格の女たちの破天荒な展開だというのに、そこにあるいがみ合いや共闘、コンプレックスにあこがれ、しょ~~~もない男に対するときの共闘などはあまりに身に覚えのある“真実”でひとつもフェイクがないので前のめりで楽しいんだろうなと思います。

初日初回、オスカーが出てきたときの大拍手、クロエが出るならオスカーは出んか……と思っていたところの「しかし、今回は特別に……!」のご登場かなりうれしかったし、ハーモニカを持たせるのも天才のソリューション。ハーモニカを吹けばどれだけ展開に困っても強制的にオチがつけられるのである! みんな持とう! ハーモニカ。
イザベラのパリのありえんシーン、おもしろ百連発のため必要な情報がまったく頭に入ってこなかったのですがそれはそれで最高だから今のままさらにパワーアップしていってほしいな~と初日に言っていたのですが、出てくるとこのエセフランス語以外はほぼがちがちに台詞で、異様におもしろい脚本とそれを乗りこなす異様におもしろい芝居で二度楽しい。毎度あやされた赤子のように大笑いしている。

見終わってすぐは高揚感だらけで楽しかったよ~!となっており、日を置いて回を重ねるごと、切実な話をこの語り口でやってくれているの本当にすごいことだなと思っています。家族と恋の話を、家族や恋でなくてもいいしあってもいいという形で書いてくれていること。
自分の壁は自分で壊して自分で修復すること、連帯って、互いへの依存ではなくて、個があってこそなんだよな。

たぶん三浦香さんの中にはどうしようもなく恋をしてしまう人間へのあたたかい眼差しがあって、恋というものを馬鹿馬鹿しくも愛おしい人間のいとなみとして肯定的に描いていると思うんだけど、一方で物語がロマンティックラブイデオロギーに収束することを明確に拒絶していて、本当にうれしくて胸が熱くなりました。

せりふ確認してないから曖昧だけどクロエの「なんとなくで恋しようとしすぎじゃない!?」しかりゾーイの「なんで無理して恋しようとしてたの!?」しかりチャールズの「私はどうかしてるのかな!?」しかり、キャラクターたちもイデオロギーに振り回されながらそこから脱しようともがいている。

今回ゾーイがクロエに対して「あんたを救ってくれる男は必ずいる(なぜなら私がそれになるから)」と叫んでN*5に変身しにいくのもほんとうに好きで……。
しかもクロエとゾーイは仲良しというわけでなく嫌い嫌いも好きのうちというわけでもなく、お互いに相手に対するコンプレックスを抱いていて、ちゃんと「こいつ好きにはなれんわ~」というスタンスでありながら、クロエの傷つきに対してしょうもない男に任せないで自分が飛びだす、近いところにいて近い傷付きかたをしているために連帯ができる関係でね。面倒だし相容れない相手でも、まだ傷を負っている女が目の前にいるなら手を差し伸べずにいられないんだというのが……。

昨今はかなりましになったけどやっぱり生きているとロマンティックラブイデオロギーに食傷気味になるじゃないですか。オタクはみんな好きな作品の続編があるいは結末がロマンティックラブイデオロギーに収束してしまってがっくりきた経験がある(巨大主語)。
だからマルアパが私たちを救うのは男じゃなくていい、私たちを満たすのは恋愛じゃなくていいという話をしてくれてほんとにうれしいんだよね。そしてその話をしてくれるのが恋といういとなみに対して複雑な愛着を持っている作家だというのがなおのこと……

同じように、今作は親子の愛情をあたたかく描いてると思うんだけど、一方でビビは家族の問題を解決するのは他人でもいいと言う。ここのビビが「あたしの寂しさを埋めてくれたのは誰?このアパートのみんなよ!」とまっすぐに言うの素直でえらいよね。
ニコラも言っていたけどビビって当たり前に正解しか言わないし、大切なことこそ大げさじゃなくあっけらかんと言うので「家族の問題を家族以外が解決したっていいの!」も、本人に自覚がまったくないの、日を追うごとにしみじみよい。

チャールズのこと全然擁護できないしムカつくんですが、初っぱなの隙のない紳士から、しょうもない浮気間抜け男を経て、ラストシーン、エプロンをつけて踊りアパートの住人の肖像を飾りつつ、ラストイザベラの肖像にキスを飛ばして見せるチャーミングさ、ラストのテーマでの家族団欒はとってもよくて。
チャールズをあれだけチャーミングに描いておきながらそれはそれとしておまえはイザベラとの関係を修復しようと望むのではなく遠くから幸せを祈りなさいねとしているのもとてもいい。
しでかしてしまったあやまちをゼロにすることはできないから、今の自分の最善を行うしかない。

三浦香作品の通底する思想として結局自分なんだというのがあると思っていて、壁は自分で壊すの≒自分を変えられんのは自分だけだろなのでね。それと同時に人間はひとりでは生きていけない、自分というのは他人との関わりのなかではじめて表れ出てくるものなのだという話をしている。
全体通して、マルアパ自体はものすごくピーキーな楽しさのある作品なんだけど、それはそれとしてかなりバランス感覚のいいおはなしになっていると感じていてこれが一番好きかも……になっています。

マルアパ、当然続くに違いないフリを見せてくれているし、こうなったからにはこの先バービーとマーガレットが出ないのは嘘でしょうと思っているので全力で楽しみにしています。できればオスカーとクロエの二人の姉もたのみます。"全部"を見せてくれ~!

ミュージカル『最後の事件』感想

フランクに一回だけ観に行くつもりが、もうチケットを増やす時間の隙間がないよ~と泣くことになるとはね。

ミーハーにふんわりとホームズもののことが好きです。
全然網羅はできていないが原典の有名どころをかいつまんで読んでて、遠い昔にSHAROCKとガイリッチーホームズくらいは通ったねくらい。コナンドイルの背景については、医者をやってたこと、歴史小説書きたかったが当たんなかったこと、ホームズ書くの嫌になって最後の事件でホームズを殺して終わらそうとしていたことを知っているくらいの知識量です。

それくらいのミーハーさなので、ドイル&ホームズ二人芝居のタイトルが「最後の事件」だし知っている役者さんも多いし、どなたかの回は観に行きたいねえとはじめは一枚だけ取っていたのだが、最終的にはキャスト全員コンプリートしてしまった。
加藤&渡辺ペアを観て、絶対他のキャストさんがやっている回も観たいのですが!?と高橋&太田ペア回に駆け込んだところ、あまりにもアプローチが違っておもしろすぎ、これは見逃すのが惜しい……と矢崎&糸川ペア回を急ぎ取ってしまった。こんなことになるとは……

期待したことおおむねぜんぶやってくれてうれしいし、それ以上に脚本が緻密で役者さんがみな各々の魅力を発揮してくれていて、ホームズのおたくとしても少人数のミュージカルとしても楽しかった。実在の人物をモチーフに、最も近い友との深い対峙と自己の内面の対話を物語としておもしろく描くの韓国ミュージカルの得意としているところだなと思っているのだが、まさにその種の作品。その中でもラストの展望が明るく後味がよいので、韓国ミュージカルの入り口としてもおすすめできる。
マジのマジでシャーロックホームズのことを一切知らなくても、ひとりの作家が劇中劇と現実を重ねながら自分の生み出した大人気キャラクターというイマジナリーフレンドと対峙し、乗り越え、人間的成長を遂げるお話としてもおもしろい。無論ホームズであることで山ほどの文脈を重ねていることもすばらしい。


ホームズものとして期待して観に行って案の定出てきてうれしかったもの

①ワトソン役をやるドイル
当然やってくれるでしょうと思っていたので当然やってくれてえびす顔。アフガニスタン帰りを指摘するくだりって何回観てもうれしいものだが、まさかここにきていきなり9パターンやってくれるとはね。
しかしモリアーティまでやってくれると思っていなかった。加藤和樹さんのモリアーティはワトソンよりドイルより本役でしょうという圧巻の迫力だった。もしかして、来るのか……からの、黒のインバネスを羽織って"成った"ときの一種のカタルシス、最高だった。
余談になるが、モリアーティ誕生のとき客席に背を向けて本棚の前で手を広げる仕草、ホームズが眠るドイルの後ろで過去になって忘れられたくないと独白するシーンでまったく同じポーズをしていて、わ~!と思いました。

②さまざまな事件
ドイルとホームズとが物語を練り上げるという名目で有名シーンをダイジェストで見せてもらってしまい、あやされているのかと思った。赤子のようにきゃっきゃしてしまうよね~。初対面シーンや、ボヘミアの醜聞はそりゃあ出るでしょうと予想していたけど、瀕死の探偵のトロの部分だけ見せてくれると思わなかった。瀕死の探偵と赤毛連盟が大好きです。もっとも単におたくサービスというわけではなく、いわゆる「キャラクターが勝手に動く」に至るプロセスを描くためのものだし、ドイルがさまざまな犯人に扮し破れていくのは最終的にモリアーティに行き着く過程に必然だしで、何重にも意味が詰まっているから余計に楽しい。
彼ら二人が最高のバディとして歌うナンバーと、最後別れのナンバーのメロディが一部同じなの、よかったな……。

③ワトソンに執着するホームズ
ホームズっていうとワトソンに大執着しているものでしょうよという前提があるが、ドイル=ワトソンとして物語を編むことで、自分を生んだもので自分を生かす唯一の存在なわけだから執着しているに決まっている。その在り方が三者三様だったのが期待以上で嬉しかった。
そしてドイルは自分の生み出した最高傑作としてもイマジナリーフレンドとしてもホームズに愛着があり、しかし、それが自分自身を浸食していきホームズの従でしかなくなってしまうから、離れなくてはいけないのだ……という流れに説得力があった。
狭義には作家としてキャラクターに食われてしまう苦悩の話ではあるが、広義には周囲から与えられた役割や自分自身でいつの間にか決めた規範に縛られていると気付いたとき、リセットするには自分のメンタルも環境も根底から変えなければならず、大きな痛みを伴うのだという話でもある。決して有名作家特有の悩みではないから響く物語になっていて脚本がすごいな……
それはそれとして、私はワトソンが結婚して221Bを離れ、ホームズがはちゃめちゃに荒れるくだりが大好きなので、ドイルの心がホームズから離れて時代小説に向かっていくくだりにそれを感じてにっこりしました。

④ライヘンバッハ
最後の事件と言ったらみんなだいすきライヘンバッハ。ドイルがモリアーティになったとき、ワトソンとホームズの出会いのように、最後の対決もがっつりやるのか~!と思ったが、二人はむしろ静かに最後のあらすじ決めて、ホームズは自ら滝のような霧のようなあちら側に消えていくの、とてもよかったですね。原典だってホームズの最後は推測でしか語られなかったから。

そして、ドイルの心の一部(キャストによって葛藤だったり焦燥だったり)のモリアーティとホームズが心中することで、ホームズはドイルの問題を解決した名探偵となる。史実とは異なり永遠にいなくなってしまっても、事件を解決するための唯一の手段を見つけたのだからその称号は消えない。また、史実通り戻ってきたらそれは名実ともに不死身の名探偵。
いずれを選んでも実のところホームズが無謬の名探偵になる答えなのありがたい。やっぱりホームズというのは無謬でありワトソンより一枚上手でいてほしいから……

舞台セットも美しかった。ホームズの部屋であり物語世界をとしての舞台上手側、黒塗りの壁が実は光を透かす幕になっていて、ライヘンバッハのシーンでは透ける青い光とスモークによって瀑布が表現されるの、奇をてらっているわけではないのに新鮮でよいセットだった。

各キャストと自分が観たペアの印象についても残しておこう。記載は自分が観た順です。おそらくタイミングによって演技も変化していることでしょう。全部見たかった。

加藤和樹さん
ストレートにワトソンのイメージもあらわしてくれながら、現実に生きるドイルとしては今後のキャリアに悩む大人としての二面性……なのだが、最終的にあまりにもモリアーティが似合いすぎていた。無を相手のワルツ、最高……先に書いたとおり本役モリアーティ、主人公にしてラスボスの風格がある。作品がすべて作者の分身としたら、モリアーティもまたドイルなのであろうね……。ホームズの最高のライバルとして横に立つ姿、そしてホームズとともにその完璧で脅威となる一面も葬り、まっさらな自分としてやりなおすのがとてもいい。しかし席の都合上、ドイルの机まわりが人の頭に被っていて役者が立っているときですら全く見えず、どんな芝居をしていたのかわからないシーンが多すぎるのが残念だった。初見で黒手袋のシーンを見逃したの、無念。博品館劇場Q列以降、定価席として売ってはいけないのでは……?

渡辺大輔さん
やられた~~~~~と思った。だってこんなホームズ像観たことなさすぎる。あえて近いホームズはと考えると、平野良のシャーロックを更に煮詰めて味を濃くして、攻撃のような笑顔と貴族のような立ち振る舞いとねちっこい物言いの芝居がかった隙のない男。初めての味すぎて夢中である。しかし後々思い返すと冷静で皮肉屋で興味のあることには前のめりの男なのはまさにシャーロックホームズなのだ。
ドイルと普段話しているときの性格はシャーロックとは違っていて、茶目っ気がありひとなつっこい男がシャーロックホームズという役をあたえられてそれを演じているのだなあという印象を受けた。現代日本でなかなか観られない時代がかった雰囲気の芝居が渡辺さんの魅力だと思うのですがそれを100%出力でやってくれていておおはしゃぎ。

加藤&渡辺ペア
「ホームズ」をやるのではなく、シャーロックホームズの作者・コナンドイルにさせられた男と、シャーロックホームズという名探偵にさせられた男の話だったんだな~と思った。
バディのときはよき仕事仲間、終盤に行くに従いモリアーティVSホームズでお互いの負のエネルギーが増すことでの盛り上がってからの、過去にとらわれたくないという感情の理解、事件解決のカタルシスがすばらしかった。
このお二人の概念ライヘンバッハシーン、ヴィランVSヴィランのありさまになっていってめちゃうれしい。ぱっと考えたときお二人ともあまりホームズでもワトソンでもなく、あえて言うなら二人まとめてモリアーティって感じがあるし。そして、なんか……色気がすごかったな……他のどのペアよりも本気で命をやりとりするし命をかけるといったらマジ命なんだなという気迫にセクシーさが発生している、そして迫力のペアダンス、瀕死の探偵……


髙橋颯さん

ワトソンじゃん! 初めてお芝居を拝見しました。加藤さんとタイプが全然違うのにかなりワトソンだった。生み出したとってもすてきな名探偵とバディをやっているのがうれしくてたまらないといった様子で、どんどん上がり調子になるときの楽しそうな雰囲気がとてもチャーミングだった。若々しく、歌はひけをとらないほど上手い。髙橋さんのドイルはモリアーティがぜんぜんそぐわない雰囲気で、黒いインバネスも着られているようで似合っていないというアプローチなのが印象的だった。ホームズを殺さざるをえなくなってしまったが、絶対に本心からではないのだろうというのがモリアーティ誕生からうかがえる根っからの善良さを感じました。ワトソンというキャラクターに強く表出しているのが、この善良な部分なのがいいね。

太田基裕さん
イメージするホームズに太田さんのエッセンスをひとさじという、いいバランスだった。どのキャストさんにも別々の魅力があるが、シャーロックホームズを観たいな~と思っている人にはおすすめかも。2チーム観てたぶんけっこうふりつけが決まっているのだろうな~と感じられる中で、手のひらを口元であわせたりソファの上で膝を抱えるおなじみの仕草がとびだしてうれしかった。
しかしこのホームズは皮肉を言っててもなんかチャーミングで憎めないな~。ドイルのちょっとだけ上をゆき、モリアーティが誕生したときも名探偵としてやっと自分にふさわしいライバルがあらわれたという素直な喜びが見え、存在をおびやかされていても焦りよりも楽しさを感じているのがホームズ的。イマジナリーフレンドとしてもずっとドイルを手玉に取っている雰囲気がある。

髙橋&太田ペア
ホームズものを観たな~!という満足感がありました。キャラクターを念頭に演じてくれた印象が強かった。かといってキャラクターの再現に留まらない。太田さんのほうがずいぶん年上のはずだが、さほど歳の離れたように見えない青年二人のバディものとして成立していてさわやかで、なにものかになりたい若者の焦りを感じさせるつくりでよかった。対立も、やむにやまれぬぶつかりあい、本当はこんなことしたくないのにという愛らしい必死さ。この二人のライヘンバッハは成長するための激しい対話の末の長いお別れといった雰囲気なので、髙橋ドイルが人生にも小説にもどうしようもなく行き詰まったとき、このホームズは再びひょっこり顔を出して助けてくれそうだなと思った。
加藤&渡辺ペアと対照的にすべてがヘルシーでフレッシュだった。

矢崎広さん
好きだ……。どこがって落ち着きのある年相応の大人、ホームズに追い詰められていく過程では焦りというよりも疲弊が見える人、陰りが魅力的で、好きだ……。モマ以来数年ぶりに拝見したのたが芝居が細やかですてきだった。自分の欲求と世間の要請との間ですりつぶされかけている人、ホームズに対しては手のかかるかわいい弟につきあっている兄のようだった。また、瀕死の探偵をはじめ演じ分ける犯人役のどれも不思議に魅力的で、もう少しじっくり長尺で見せて~!と思った。同時に、ドイルをやっている時は善の人だ!という印象だったが、多種多様な犯人役の積み重ねによりドイルという人の人格の多面性を見せてくれて、瀕死の探偵の犯人なんて格好良すぎだろ、最後に出てくるモリアーティはどうなっちゃうんだ……?と思っていたら影の色気のあるモリアーティが爆誕して最高になりました。

糸川さん
自分の能力を主張する、存在を広く知らしめたい、興味あるものにしか動かなくてわがまま、気難しさの種類が思春期みたいなホームズだった。己の頭脳に自信があるツンとした傲慢さが若さと相まって魅力になっている。大人のドイルが抑圧している面が全部表にでていて、高慢さすら子供のわがままに見えてチャーミング。ドイルに褒められると嬉しくて、ボヘミアの醜聞のところなんて素直すぎるくらい。ドイルのインナーチャイルドが役割を与えられて精一杯「ホームズ」を演じているように見えた。だからある意味誰よりもホームズらしさもある。一方ドイルを追い詰めるくだりもどうしたって消えたくない認めて欲しいというあせりと恐怖が見えて、かわいそうだよ……と思うほどだった。

矢崎&糸川ペア
落ち着きのある男とその中に秘められた少年性の発露みたいな組み合わせで、ドイルという男の葛藤という側面が強かった印象。
ホームズという愛すべき子がだんだん育ってきて無視できないほど大きくなっても、拳銃を持ち出すまでは同じ土俵に乗らず、いなすような振る舞いをしていたのが印象的だった。モリアーティとしてはかみついてくるホームズをあしらっていて、矢崎ドイルにとって糸川ホームズって脅威すぎると言うよりもつきまとって離れずその主張によって徐々にすりつぶされてしまうような存在なんだろうな。
矢崎ドイルの視点で糸川ホームズは自分の子のような弟のような傲慢で愛らしいインナーチャイルドとしての友人になるのだな。彼を甘やかしてやることで自分の子供だった部分が昇華できる、自分を認めて許すまでの道行き、自己との対話の物語だった。


はあ~千差万別すぎ。
チームというものが好きなので、ダブルキャストトリプルキャストは固定チームでやってくれるとうれしい派なのですが、この演目に関してはトリプルキャストシャッフルの意義が存分に感じられる。
役者さんの個性にくわえ、二十代・三十代・四十代の役者の組み合わせによっていやおうなしに人間関係がガラっと変わるから……。別の組み合わせを観てなくてもそうとわかるよ。見終わったあと、あのドイルとこのホームズだったらこうなるのかな……の想像だけでも豊かな気持ちになれた。それを想定したような脚本でもあると思う。骨子がしっかりしながら余白があってさまざまな解釈が可能だ。だからこそ全然雰囲気違う大きさも年齢も違う俳優さんたちが同じ役にキャスティングされるようなことが発生するわけだし。私はこのたぐいの「ビジュアルからして同じキャラクターなはずがない!」ってタイプの複数キャスティングが大好き。やっぱり人間の肉体を伴って演じることでキャラクターが可変になるのは演劇の醍醐味ですからね。
しかしこうなってくると公演期間全然短いな。当初は長期間公演ありがたいね~と思っていたのだが。9通り9回ずつくらい公演しなきゃ観たい組み合わせ(つまり全部)みられないでしょうに。すでに観た組み合わせも再度観たかったりもするし……。やっぱりトリプルキャストシャッフルよくないかも。あまりにも観たい物が多すぎてしまう。
私のように「全員観たいよ~!え~ん!」と言っているわけでなく、ちょっとカジュアルに見てみるかという人は、行けるところで任意のペアを観てきてほしい。観た回が"真実"になる。みんなで違う真実を目撃しよう。
……え~ん、全部の"真実"をみたいよ~! 再演もしてさらに真実を増やしてください。

 

追記:瀕死の探偵って復活後に書かれたエピソードなの!?
執筆順が史実と違っているということは、ミュージカルのドイルが史実と同じ未来をたどるとは限らないのでは?
復活後エピソードももう書いちゃってるんだよということなら、この世界線でのライヘンバッハ、現実のとは違ってマジで再会のない決別なのかもしれない。
そもそも鹿撃ち帽とインバネスという姿も、小説の挿絵で描かれてから定着した姿だから、ドイルがホームズを思いついたときにはあの形をしていないはずだし、あくまで現実をもとにつくられたフィクションである。あくまで物語であって伝記ではない、だからこそできることがあるし、そこにおもしろさがある。

 

追記2:矢崎ドイル&太田ペア初日を観た

時間がないからな~みたいな与太を言っていたが、時間はなんか……こじあけりゃあ、ね……。
一週間ぶりで物語の咀嚼ができたところもあって理解が深まったし、アフタートークも演技の話が聞けて嬉しかったな~

矢崎さんの演技、抑制されていて舞台っぽくないほどに“リアル”な芝居でかえって感情の起伏が伝わるのがいいな〜!と思っていたら、翻訳・訳詞・演出補の福田さんもこんなにドラマティックな脚本をナチュラルにやってくれると思わなくてうれしいというようなことをおっしゃっていて、したり顔でうなずいていました。

矢崎&太田ペアはもうひとりの自分、自己との対話の印象が最も強かった。
矢崎ドイルが太田ホームズを殺さなければと思い詰めるとき、ホームズは今までの頓狂を棄てて理性的にまともに説得するが、途中で君ごときが最高傑作を殺せるのかという挑発に変わる。
その挑発の意図って、初めはドイルがホームズの言葉すら耳に入れずあまりにかたくななため、説得の手段を変えたことによる、演技としての物言いだったのが、ドイルが酒に溺れて偏執的になるにつれてホームズも狂気にあてられて本気になったように見えた。
とりつくろうのもやめた二人、ドイルの内面としてのホームズとドイル自身、二人の自分が互いに自分の欲望を掘り下げていくことで最後にたどり着くのが「過去にとらわれて潰れる前にリセットしたい。最高の名探偵ホームズを愛しているが殺したくはない」という結論なんだな~
ドイルはホームズのことが憎いわけではないのだと思い出し、もうひとりの自分としてのホームズは名声がほしいわけではなく自分のやりたいことをしたいと気付くのだ。
ドイルがライヘンバッハへの道行きにワトソンを登場させたのはホームズの誘導でもあるし「筆が勝手に動く」状態で書かされた展開だったが、自分の無意識の分身で良心であるホームズの無二の親友としての登場人物のワトソンが動いてくれることで初心を思い出すの美しかった。危篤のご婦人がいるというのはモリアーティの罠なのでもう何が起こるかがわかっていて、そのくだりになると離れがたい顔をしているさま、ワトソンとドイルが入り交じっていてすばらしかったな。ものすごく複雑なことをやっている。

一方、イマジナリーフレンドとしての作品外のホームズは茶目っ気たっぷりだった。ボヘミアの醜聞のくだりでは自分の名声が世界にとどろいたと喜んでるし、二人ならもっと有名になれるとドイルをかりたてているのはある意味無邪気ではあるのだが、その時点で名誉欲にとらわれてしまっていたのだなあと複数回観たことで気付いた。
最終的に、ドイルの苦悩を直視して、難事件を解決することこそが自分のアイデンティティであって名声を世にとどろかせることなどは不要だと思い出したため、ライヘンバッハに至れたのだ。
「ホームズは殺されるのではなく行方不明になる」という決着は、ホームズを愛しているが自立して己の作品を書きたいのだという気持ちに折り合いをつけたドイルが、どうにかたどり着いた答えなのである、というプロセスがきれいにわかるようになってうれしい。

あと、話を追ってて「酒におぼれ不安定だった父が死んだ。幼少期は不安定な生活におびえ、ホームズのように理知的な人間に憧れた」というくだりと年齢差とが、二人の関係性に大きく影響を与えるのだなと改めて思った。
アフタートークでもあった矢崎さんの細やかな飲酒演技、キツいのにラッパ飲みしていて気分は最悪だけど飲まずにいられないさま、これってアルコールに溺れた父の二の舞になり、なにもなせずに死んでしまうのかもしれないという重圧が乗ってきてるのだな。さらに自分の理想像が自分を脅かし、自分を飲み込もうとしているのだという妄想にとらわれた男によって開幕する最後の事件、え~~~やっぱりおもしろ~~~。

全員芝居がうまいし脚本もおもしろいしホームズという合意があるのでするすると楽しめてしまうが、複雑なお芝居すぎるよ。
ドイルがうみだしたシャーロックホームズと名付けたイマジナリーフレンドが実体をもってドイルと共同で"シャーロック・ホームズ"というキャラクターおよび物語を作り上げていき、劇中劇を繰り広げる。終いにはドイルと離れて過ごしてその間「ヒマだ」というほどに自立した存在になる。一方ドイルも物語に入り込み、新しく作り出したキャラクター・モリアーティと自我が癒着しつつもドイルやワトソンを行き来して葛藤するが、最終的にはそのすべてに別れを告げ、創作者コナン・ドイルとして一からやりなおすというの、芝居と歌とがハイパー上手人間じゃないと成立しないのでは……?
結局「芝居が上手な人間をn人用意します(nは登場人物の数とする)」というタイプの芝居が好きなので大はしゃぎ。若手俳優、2.5出身が多く出る芝居を観るたび毎回すごいよな~と思うのですが、歌も芝居もダンスも上手いうえ、造形が整った人間たちがこんだけいるの、どうかしている。
おたくですので、モリアーティがひとりでワルツを踊った振り付けがはじめに提示されてから、手負いのホームズを無理矢理捕まえて踊らせることで計画の完成を示すのめちゃめちゃうれしい~!となりますが、これもみんなダンスが美しいことで説得力ド増しになりありがたいことですね。
これもおたく心全開の気持ち、矢崎さんが演じられる犯罪者、雑な言葉遣いをすると大変に「メロ」なので二回目は心して観たところ、やっぱりホームズ絞殺未遂直前の男爵がちょっと好きすぎた。うわっつらの慇懃さに満ちたあからさまに悪役の貴族、戯画度が高いのがフィクションのキャラクターとしてよくて、どうにかうまいことしてもう少し長尺でやってくれないでしょうか……?

追記3:矢崎ドイル&太田ペアをまた観た
観たくて……。
一周回ってただただ楽しんできた。
これまでペアを変えての公演を色々みて、各々で全然違う味がする~楽しい~と言っていたのですが、まったくの同ペア観たら、これも前回から変化していて新しい発見がある……! 楽しい……! やっぱりどのペアも複数回行く必要があって……全然公演数が足りなくて……。

今回の矢崎太田ペア、まず序盤のホームズのちょけがレベルアップしていて愉快。太田さんの「人当たりがいいが人嫌い」の作り方、ヤバ挙動不審の方向に行くのが楽しすぎるし、スレイジーを百回観ているので知った味がしてうれしい。ボヘミアの醜聞のくだり、自分の世界に入っちゃって全然戻ってきてくれないホームズに対して、突っ込むでもなく何なら引き気味のドイルがよかった。

ホームズのおちゃらけ倍増になった分、脅威になったあとの迫力も増していた。
僕を殺せるのかというホームズ、アルコール中毒と化したドイルの視点であるために、悪意と敵意が増し増しになって見える。前回はここまで露悪でなくただただ強大な敵だった気がするが、今回は「こいつを殺さないと自分がこいつの影になって物も言えなくなる」というおそろしさを感じたし、歌唱に圧を感じた。

これは私がセリフの流れをある程度把握したからなのか、「過去に飲み込まれる」に気付いたあとのホームズの感情の変化も理解しやすくなっていた。
己を殺そうとするドイルへの怒りに近い対抗心、モリアーティから命を狙われる脅威はありつつも、劇中の人物としてはモリアーティを追い詰めること、難事件に対峙する喜びも感じていた。難事件を解くことがアイデンティティのホームズが「過去に閉じ込められる」というキーワードから最後の事件の真相を見つけたとき、ドイルという友人への情もありつつ、探偵としてはこの事件を解決しないわけにはいかず、モリアーティに殺されるという結末を提示したんだな……というのが理解できた。探偵ってそういう機構だから……。それまでお話をやるときはいつもドイルが「じゃあはじめようか」って語りかけていたのに、最後だけはホームズから「終わらせよう」って切り出すし。そして助手は探偵という世界の理に対して情という別の理屈を持ち込める存在だからよ、モリアーティに殺されたかどうかは定かでなく生死不明の結末、生きていてくれという望みを提示することができるってわけだ~。
余談だけどモリアーティのインバネスを脱ぎホームズに渡すとき、ドイルが自分の肩の高さでコートの首元をつかんでまっすぐ差し出すことで、まるでドイルとホームズの間にモリアーティが立っているように見えるのしゃれてるよな~と毎回思っていました。自分の中の一人格をホームズに連れて行ってもらう、あるいは自分の一部をともに連れて行かせるんだよねえ、と思っていたが今日見たらコート……置き去りにされてるんじゃんね……ホームズはドイルからなにも奪わなかったよ……名探偵でありパートナーだから……

ドイル側からするとホームズってイマジナリーフレンドだが、ホームズの視点から考えると、作者とコンタクトを取り物語の筋にすら関与する力を有していて、物語の枠の外を把握できるメタ視点をもった探偵なわけでつまり……メタ探偵だ!
本作は基本的にドイルの視点で進んでいるが、これホームズ視点で物語をやると自分が「シャーロックホームズ」として活躍する世界では自分以外の人間たちはすべてドイルが演じていて、ドイルが事件を考えなければ暗闇の中ということすら知っていながら生きていて、作者によって殺されかけ作者の事件を解決して闇の中へ還っていく話になり……メフィスト系の新本格みたいだ。なんて複雑なことをやっているんだろう。おもしろ~


以下、はしゃいだシーンに関するただの感謝ですが、回を重ねるごとワルツ前のドイルモリアーティが原稿用紙をまき散らすさまが派手に美しくなっていて、紙吹雪舞い散る中で傀儡のホームズと踊る構図がまさに絵だった。ありがとう。
物語としてはつらいシーンなのだが、やっぱりドイルがモリアーティになるところ大好きすぎる。矢崎さんがドイルを身近にいそうな普通の人間として演じているものだから、モリアーティでいきなり"妖"になって……うれしい。モリアーティの「その感情をよく覚えておけ」のかすれ声、thank you……
前段階としての男爵も絞殺計画直前のうしろめたさを覆い隠したあやうい上ずり声でめちゃめちゃ好きなのですが(前回と同じことをまた言いました)。
それで言うとマスケット銃を突きつけられて「撃ってみろ」をやるホームズも、前回の尊大さに"妖"が追加されていてよかった。序盤はキュートでチャーミングだが、最後の事件に至ると神に近しいメタ探偵となっていて、ドイルをむかえうつさまが人外めいているのもうれしい。少し休むと言って目を閉じて座っているだけでも美しくて緊張感がある。なんであんなにも挙動不審ムーブが上手なのに黙るとあんなにも超越的存在に見えるんだろうな。すごい役者だ。

あ~あ、もう見られないのがさみしい。再演をお願いします。

 

追記4:配信が来て、髙橋&糸川ペアを観た

ありがとうミュージカル最後の事件、配信をエンジョイしています。
ちょうど最後の事件終わってから配信始まる直前までずっとバタバタしていたので、私のためにここまで配信待ってくれてありがとう。
コナンドイルのお誕生日スタートなのもしゃれている。本作、制作のかたが細やかさを随所に感じ、ありがたいことだなと思っています。無事に「紙」ももらいましたし、おかげで劇場では観劇かなわなかった髙橋&糸川ペアを観ることもできてうれしい。

髙橋&糸川ペア
年齢が近い対等な立場のペアがしっくりくるぜと思っていたので、二十代コンビが最後の1ピースとしてハマった~!という感じがあってうれしかったです。
あまりにも純に友達、絶好調のときも仲が決裂してもずっと強固に友達同士で感情だけが行き違い、マジで最初から最後までキラキラとした青春物語だった。この年齢でないと打ち出せない人間関係で特有の色があった。
序盤の楽しそうな二人、よろこびにあふれていてまぶしいほどで愛おしく、今後の展開はもう隅から隅まで知っているので「ずっとこのままでいて~!」になってしまうし。
しかし成長と自立のために必要な別れなのであるという説得力も強く「みててねホームズ」のやわらかで親しみのつよい、少し幼いような言葉選び、結びが一番似合うのってこの二人かもしれないなと思いました。
そして、観劇時の感想にも髙橋さんってまさにワトソンと書いていましたが、その理由を思い出した。ワトソンってひねくれもののホームズに友情を抱かせるほど圧倒的に「いいやつ」だと思っているのですが、その素直さがぎゅんぎゅんに出ている。絶対にこの人を裏切っちゃだめだろ!と思わせるオーラ、ワトソンの素質がありすぎる。
そのキラキラからのモリアーティ化の落差が激しいが、加藤ドイルが「成った」、矢崎ドイルが「選んだ」だとすれば髙橋ドイルは「呑まれた」って感じがある。糸川ホームズの対立のしかたも変化への戸惑いや引き戻そうとする必死さが感じられて、ずっともどかしくやるせなかったね。

 

配信だと他ペアはこのシーンどういう芝居してる?ってのがすぐに観られて楽しいね。
ライヘンバッハ行き前夜、ホームズがワトソンを呼び出すときの駆け引き、加藤&渡辺ペアはうわ~ワトソンへの追求っていうか「暴き立て」じゃん……怖すぎ……ヒエ~……となった。
じゃあ髙橋&糸川ペアは?って観たら、ワトソンを通じてドイルの善なる部分へ呼びかけているようだったし、加藤&太田ペアはメタ探偵の作者への呼びかけだった。
駆け引きひとつとってもこんなに違うかね~たのしい~となって、通しで観るのがとてもむずかしい。たのしくてよいことですね。
配信も長いこと期間をとられているし、引き続きエンジョイさせていただきます。
配信おわるころに再演のにおわせなどしてくださると本当にうれしいな……過度な期待。そのうちでいいので、お待ちしています。



ミュージカル『十二国記 ‐月の影 影の海‐』 感想

舞台を観に行くのが好きで、白銀の墟を十八年待っていた人間です。
十二国記のミュージカルなら観に行きたいよ~!とどうにか名古屋御園座に滑り込みで観劇してきました。

 

十二国記のファンに向けたいいメディアミックス、観に行けて本当によかった。
メインの登場人物は根幹は小説から受ける印象と合致した上で、肉体を伴うことで現実の質感が増し、舞台美術や妖魔たちは、"モップ"のスクリーン表現に雲海のシーンのマジ具象雲海、影絵のような雁国の騎獣群など、抽象と具象の案配がよくて、原作の魅力を損なわないまま更に新たな、今まで知らなかった側面を見せてくれたことが嬉しかった。

そのなかで楽曲が結構特異で意外、十二国記といって想像するような中華音階を使わず、暗鬱な展開の前半部ですら曲調はむしろ明るく、陽子の感情にリンクしないのがかなりおもしろい作りだなと感じた。絶対に何か意図があるのだろうが音楽に詳しくなく、意図があるんやろうな~と思いながら聞いていた。
ナカサチさんの衣装の特番みたいに楽曲も特番組むかコメンタリーかで解説を出してほしい。

一方設定も複雑だしどうしても説明がしきれないところもあって、白い衣装の景麒は麒麟のすがたなんだよね?とか、あの緑の玉はなに?とか、前提知識がないと把握しきれないところはあるよな~と思ったけど、「おれたちは"十二国記"を作るぞ……!」というほとばしる気概、隅々まで行き届いていた。削るところ残すところでより鮮明に物語の構図が見えるところがあったし。


構図で言うと、舞台では松山老人と壁落人、達姐と楽俊が対比として描かれているうえ、二者の境遇の差がなぜ発生したかというと、突き詰めれば「学」の有無だった。しかも「学」が個人の性格や身分と不可分ではない。松山老人も平和な時代に生まれていれば手に職をつけられたかもしれないし、達姐も広く世の仕組みを知っていれば陽子を娼館ではない場所へ連れて行ったかもしれない。達姐は物乞いに小銭を渡しているんだよな……善人ではないが搾取一辺倒の人間でもない。全ての人は学べる環境にあったほうがいいし、勉強はしたほうがいい。ティーンの少女へ向けた小説で書かれるにあたってシビアでまっとうすぎるメッセージだ。


キャラクターもみんなとってもよかったのですが特にこれは……!というところをピックアップさせてもらってまずは楽俊。私は太田さん回を拝見しました。
原作の楽俊って賢くて心優しく情緒の安定した非の打ち所がない出来物の印象だけど、舞台版はそれはそれとして年頃の青年なので母親に対する照れもあるしねずみとしての多動さもあるキャラクターに仕上がっていて、魅力的なうえ人間味が増していてチャーミングでしたね。操演の都合上走りかたがだばだばしているのも後ろを向くと人間態から尻尾が生えているように見えるのもかわいい。カーテンコールで人間の役者さんたちが直立不動の中ねずみの楽俊だけがせわしなく動いていたのもよかった。かぶり物などでなくキュートなねずみがそこにいるというのはうれしい。しかしずっと中腰のままそれなりの重量だろうねずみの姿を支えながら歌ってと肉体的にかなりハードなのに、軽やかな芝居をされていてすごかった。
Twitterで楽俊だけダブルキャストなのは役者の腰を守るためだったのか〜という感想を見かけていたが、実際に観て深くうなずきました。牧島さん回はどんな違いがあったのだろうか。気になる。


景麒は美しい青年のかたちをして現れることで「ダメでしょ~!」の思いが際立った。
景麒っておのれの本性がある種の機構であると認識していて、主人に対しすべては天意であり個人としてあなたを選ぶわけではないと表明するのも誠実さだと思っているんだろうけど、この身体性をもってして「あなたを選ぶのは天意です」「王がいると嬉しいです」「善の生き物なので善意を見せます」「説明が圧倒的に足りない」が揃った振る舞いをしているの、ダメなんだよな~!感情がわかりづらいだけで自らすすんで鉄面皮をやろうとしているわけではないから普通に情が漏れてるのもほんとによくないよ。顔だけがいい。顔だけがいいことでよけいにダメになっていることがいろいろとあります。舒覚もそりゃあ追い詰められるでしょう。天意に従っているのであって個人の欲ではないと認識しているからこそおのれの正しさをいっぺんたりとも譲らない傲慢さがあるし、いくら切羽詰まっているからといって「許すとおっしゃい」じゃない、説明しろ、せめて胎果の王の可能性が発生した段階で王に渡すガイダンスパンフレットを作成して読んで貰いな。同行者と新鮮な悪口が無限にでてしまったが、月の影時点で景麒に新鮮にムカつき新鮮な悪口が出るということはつまり、景麒を演じるのがとても上手いということ……。


そして、もう全員が話しているでしょうが二人の陽子のかけあいで進むのがとてもよかった。
別にもうひとりの自分がいるからといって孤独が薄まるということもなく、自問自答の対話をすることで、正気すら失わせてくれない存在としてそこにいた。一幕の終わりが小説と異なり楽俊に拾われるところでなく、ようやく自分を認めることができたシーンであり、そのあかしの抱擁だったのもよい演出だった。
王になることを決めて戦装束を身にまとうとき、最後のマントを着けてくれるのが自分自身なのも演劇だから成り立つ表現でよかった。自分を自分で王にするんだ。
蓬莱にいたときの陽子って卑屈だったがきっちり自分に厳しく、せねばならない、すべきだということを遂行する力は強いので、方向を見定めたなら自分を律する力として内面にいる自分はあまりに強いんだなと思った。
なんなら猿のほうが甘い。どうせお前はと追い詰め、人を信じることをやめさせようとするのはある意味で自分を甘やかすことなのだと思う。それも結局自問自答だというのが、猿がいなくなったのち猿が歌っていた歌を陽子が歌うようになることで明示されているのがいいつくりだった。

蒼猿の話が出てきたので蒼猿の話もします。今回の舞台版で予想外にめろめろになった登場人物その1。
純粋に芝居がうまくて徹頭徹尾人にあらざるもので、しかも異質なアラビアン音階で分裂して邪悪なジーニーみたいなイカしたトリップショーを見せてくれた上に陽子に追い詰められて斬られるときは小物っぽくて何もかもがありがたい。陽子にしてみりゃたまったもんじゃないでしょうが、蒼猿が出てくるたびにはしゃいでしまった。

そしてめろめろになったその2が舒栄です。
原作だと舒栄の印象って薄く、なんとなく名誉欲や虚栄心により偽王として立ったように受け止めていたのだが、舞台版を見たところ天意なんていうわけのわからないものによって優しかった姉を奪われた妹による世界のシステムそのものへの復讐であり反抗だった。人間が考えた政治システムなら覆しようもあるが、自然現象と同等の仕組みへのたったひとりの反逆、天への疑義、歌唱の迫力もあいまってすばらしかった。
十二国記の世界って「すばらしい治世を敷く王も必ず死ぬ。では賢帝が永遠に生きるとしたら?」という問いから始まり、その他の問題(国家間の戦争、男女の不平等、世襲制、環境問題など)も天意というシステムであらかじめ発生を防がれているので理屈上では理想郷になるはずなのに、やはり争いは起き国は荒れるというところに悩ましさがある。
世界が悪くなるのは人間が善くあろうとせず争っているからだという面もあるが、一方で天意は動かせないが不動なだけで完璧なシステムとは限らないのでは?という問いも後の巻では立ち上がっていている。
小説における「月の影 影の海」では天意のシステムの一方的な傲慢さはまだ明らかになっていなかった部分だと思うが、陽子が天意によって王となる前の最後の障壁として、天意の是非を問う舒栄が立ちはだかるのって十二国記の舞台化としてぐっと厚みが出てすばらしかった。
はじめて小説を読んだときに、雁国に助力を乞い王として立つことを決めてから景麒を救うまでがあっという間だなと思ったことを覚えている(今思うと陽子が力を得て敵を討伐する部分は本題ではないからだろうしヒロイックに描いてはならない部分だろうと納得できますが)。
舞台版ではそう長くはないながらも舒栄を斬るシーンが入ることで、国を荒らした大罪人を裁くという建前がありながらも現代日本の女子高生が初めて人を斬ること、天意を疑った人間を裁いて王になり天意のシステムに取り込まれること、後戻りのできなさが強く印象づけられた、作品中屈指の名シーンだと思う。
これまで描写されなかった血の描写があるのも、それが赤い花びらのように抽象化されているのも、王・赤陽子の誕生として象徴的ですばらしかった。
王になるといえばその後の、ずっとヨウコに寄り添っていた女子高生姿の陽子が階段をのぼり日輪を後光に、気高い王としてそこに立っているような演出もよかった。あまりにも格好いい鎧姿のヨウコの姿にキャーキャーしてしまうが、あの姿になっただけで心は蓬莱の華奢な女子高生と地続きで、それが苦難を経て気高い王の魂を得たのだとわかり、ちょっと泣いた。
二人の陽子がいる意義を存分に感じられる、私が私を真に認め王にするまでの物語、この先のシリーズにも続く思想を感じられるいいエンディングでした。


繰り返しになりますが観に行けてよかった。続編も作ってほしい。延も恭も戴もぜんぶ観たいが次は「風の万里 黎明の空」ではどうですか。今回の二人の陽子に舒栄がすごくよかったので、女性がメインで活躍する和製ミュージカルがぜったいもっとたくさんあってほしいし、なにより鈴や祥瓊もぜひミュージカルで見たい。

『ALTAR BOYZ 2025』team Gold& team Spark & team Sapphire +合同公演 感想

アルターボーイズ!!!よかったね!!!!
そもそもアルターボーイズはいいものなのですが、今年のアルターボーイズはあらゆるよさがあった。
3チームが優劣つけがたい各々の輝きを見せてくれていてありがたい。

私は19年に初めてアルターボーイズを観て、まあ初年はただただ情報量に圧倒されていたので自我が芽生えたのは21年から、今回で4シーズン目のアルターでした。
21年に自我が芽生えたときの感想を思い返すと、私にとってGOLDは歌(パフォーマンス)のチームでSPARKは芝居(物語)のチームで、同じ脚本同じ演出のはずなのに体験として全然違うものであることをおもしろがっていて、今もそれは変わらないのですが、やはり同じチームが続いていくと歌も芝居もどんどん深掘りできるところが出てきて全体が底上げされている感がありうれしかった。
さらにSAPPHIREは全員初アルターであることをむしろ強みとして若さ故のきらきら+各人の歌ダンスのスキル+脚本に忠実な演じ方でニュースタンダードを見せてくれた。
各人スキルがあり初日近辺から十分に完成度が高かったのは前提として、単独公演を重ねる中でチームとしての結束が強くなった状態で迎えた合同公演は、三チーム十五人が一人も欠けずに集っていたのも本当に嬉しかった。先輩チームは負けん気でバチバチとやりあい、後輩チームは独りじゃないことでかえってのびのびと舞台に立っていて理想的な奇祭でとても楽しいグランドフィナーレだった。


また劇場も最高。始まるまでは新宿FACEでなくなったことをさみしく思っていたのですが、アイマショウは舞台上のアクティングエリアが広いうえ、後方まで見やすく音響も聞き取りやすく、椅子も座りやすくてドリンクホルダーまでついていて環境改善著しい、どうにか次回以降もアイマショウでお願いします。

概要は上記の通りなのですが、各チームについても感想を簡単に述べますね。回数観たのはGOLDとSPARKなのでその2チームの話が中心になります。

細かいこと話すとほんとうにこんなものじゃすまないのですが12月中に感想をあげたくて……と言っていたら年を越していた。また追記もするかも。

 

GOLD

大山マシュー

盤石の安定と信頼の大山マシュー。ショーの頭はもう何年もやってきて身体に馴染んだライブMCとしての怒涛のご挨拶で、後半になるにつれナマの感情が表出する芝居がグっとよくなっていたし、座組の中心としてコミカルないじられっぷりも、GOLDはみんな中心に大山マシューがいるから安心してるんだっていうのが伝わってきてよい。一目見てわかる度量のでかさ、それでいて誰より高く跳びバチバチに踊りまくり、くしゃっとした満面の笑顔とでっかい笑い声でこっちまでうれしくなっちゃう。
合同では真ん中に立って他チームも含めた全員を受け止め、初参加のSAPPHIREがすごくいいチームだったと伝えてくれるのも込みで誰より格好よかった。大山真志さんはあらゆる意味で今のかたちが一番いい、それはそれとして健康と関節に気をつけて永遠にマシューをやってくれ~!

大音マーク
圧巻のお歌のマークちゃん、はじめて大音マークのエピファニー聞いたとき、こんな「音楽のよろこび、解放」みたいな響きかたするエピファニーってあるんだと感嘆した。若松マークの殴りつけるようなエピファニーを聞き馴染んでいたから……こんなに違うのにマイノリティのカミングアウトを暗喩した歌としてはどちらも正道なのがすごいよね。
初日近辺の、自分は置いておいて客のみんなへの力強い鼓舞みたいなエピファニーがすごく印象的だったが、後半、自分の経験も踏まえた快哉になっていて厚みが増していた。創世記の周囲の理不尽な抑圧をも内面化してしまう真面目な少年から成長して自立した余裕のある大人になり、エンジェルちゃんにすら優しくユーモアを持って接しているのが素敵。大山マシューとは盟友のようなさっぱりしているが強い関係性がよかったが、GOLD千秋楽でこの二人は結婚を視野に入れているということがわかり、めでたい。

石川ルーク

無限にメロいとはこういうこと……になっていた。
21年の時点ですでにこんなの世界で一番格好いい男の概念じゃんと言っていたのだが、とどまるところを知らず銀河一の男になっている。もとからどう考えてもクレバーで隙がない、歌は当然にうまいルークだったが、年を経るごとにどんどん悪い男の格好よさが出てきましたね。それにともなって少年回復センターのくだりが「本当のことは言えないからストレスってことにしよう」という作りになっていたのもよかった。ボディマイ入りや煽りのよさ、トチりの回収までうまくて最高。懺悔でジャケットを脱いだとき、ちょっと格好良すぎて動揺した。
はやくミュージカル界の覇者になってほしい。私がミュージカル界の覇者になってほしい俳優、男性部門は石川新太さんで女性部門は田村芽実さんです。

松浦フアン
 みんな歌うまくなったね〜!と言っていてほんとにそう思う、私は音楽素人なので技術的なことはわからないのですがすごく楽しそうに遊びも入れながら歌っていたのが印象的でした。こんなミュージカル界の新星を集めてみましたみたいなチームにひとり畑違いで放り込まれて普通だったら泣きたいだろうにのびのび歌えるのほんとにすごいことですよ。あと個人的に好きだったのが松浦フアンが楽しそうに歌っているときそれを見る石川ルークの目の優しさ。
コンテンツとしてヒプステも追ってるのでなんやかんや松浦さんをコンスタントに拝見しているのですが、明らかに今年の下半期身体のコンディションがよいというかブレイクをバチバチにやるため調整に尽力してくれたんだろなという感があり、頭が下がります。
お芝居もよかった、ていうかアルター後半の芝居の流れかたって脚本的にかなりフアンちゃん次第のとこがあり、今回GOLDの「遊ぶとこは遊び、締めるとこは締める」というよさが色濃く出ていたのすばらしかったですね。
それはそれとしてラヴィダ前の「人生は続くんやからな」というせりふをずっとカットしててありとあらゆる悪い想像が湧いていたら千秋楽だけ「人生は長く続くんや」とか言い出してもうめちゃくちゃになりました。オタクの繊細な情緒をもてあそぶのはおやめになって。まあでも長く続けてくれるらしいのでよかったです。かわいいじじいのフアンちゃん観るのもたのしみにしてます。

常川アブラハム
純真とはこういう人のことを言うのであるなあと思った。アイビリ前の一人一人に語り掛けるときの、涙ぐみながらすがるようなものいいが末っ子のようでとても好き。みんなが寄ってくるときにはもうニッコニコニコになっているのも愛らしい。隣り合ったマークとフアンに対してものすごく不器用な触れかたをしていてかわいらしく、人と手つないだことないんか?と思ったあとでアブラハムというキャラクターはほんとに人と手つないだことないのかもしれんと思ってしみじみとした。ラヴィダ前のくだりで泣いてるフアンちゃんを追いかけて後ろにいくのに、肩に触れようと手を伸ばしてためらって結局やめちゃったのもすごくよかった。
毎回驚いている気もするが、アブちゃんが開脚大ジャンプにバク宙してくれるたびにはしゃいでしまう。
懺悔でカフェのコンセプトを毎回真面目に練って考えてきてるのに喋り出すと何言ってんだかわかんなくなっちゃうのも好きでした。

GOLDのチームカラーが如実に出てておもしろかったエピソード、Body Mind and Soul のルークがメンバーを階段にして上ってくところ途中でこけちゃった回があって、まあ危ない感じではなかったのでそのまま続いたんだけど、その後ルークが「みんな大丈夫だった?」と聞いたときに松浦フアンがなんか言いかけたのにルーク含め誰も聞いてなくてそのまま流れていったのがほんとにおもしろくて……。大丈夫?って聞くのが当然全員大丈夫であることの確認でしかないの、らしすぎる。なんかGOLDって独特の「聞いてなさ」みたいなのがあるよねと思っていて。全員常に自分のボール持って全力投球の姿勢をとっているからこそ出るクオリティがあり、同時に拾われないこぼれ球があるのであった。

あとGOLDというか大山マシューと大音マークの関係性ですごく感銘を受けたことがあるので書き残しておきます。千秋楽のSomething about you、大山マシューが一直線に客席の奥まで走って連れてきたエンジェルに「母さん」と語りかけ、会場はもうお祭り騒ぎのめちゃくちゃいい回だったのですが、普段は自分とエンジェルちゃんを指して歌う「いつか二人のwedding」という歌詞のところで大山マシューが明らかに「俺とマーク」の二人を指し示したんですよね。一瞬私が欲望のあまり幻覚を見たのかと思いましたが、別角度から観劇していた友人にも確認をとったので、我々全員が幻覚を見ていたかマシューとマークが結婚を前提としているか二つに一つ。
大山マシュー、23年のときに若松マークに対しチューしていいよと頬を差し出してたのもかなりびっくりしたのですが、ついには結婚することにしたんだ。マシューがマークの気持ちに気づいているどころかはっきり自分のパートナーだと認識しているの、すごすぎる。そりゃ大音マークの造形も情緒の落ち着いた余裕ある大人になるってもんですよ。
これって本国ではというか日本よりもっとキリスト教の力が強い国では、マシューはキリスト教の教えに忠実なキャラクターとしてコミカルに描くことによって、多かれ少なかれキリスト教の教えを内面化して生きてこざるを得ない観客たちに影響を与えるという役割だと思うので、自分はマークとそのうち結婚するんだろうなと思っていてそれを母親の前で表明するマシューなんてのはニッポンアルターじゃなかったら決してあらわれないキャラクターだと思われ、アルターボーイズを日本に持ってきて長く上演してくれてほんとにありがとうという気持ちになった。なんかここ数年とみに世界って悪くなるばかりだと感じるが、21年頃からのマシューとマークの関係性の変遷を見ていると捨てたもんじゃないかもしれません。

 

SPARK

鍵本マシュー

SPARKの来歴もあり、23まではマシュマク:おにいちゃんトリオで2:3という印象が強かったのが、今回はがっちり組み合う5になっていたのって鍵本マシューのおかげだと思う。SPARKはみんな一緒の横並び感が強いのでマシューがリーダーだからといってリーダーシップをとるわけではないんだけど、SPARKというチームのコンセプトを司っているのがアイドルとしてセンターにいる鍵本マシューであることは明白なので。
鍵本マシューって自分のルックスがキラキラ王子様であることを自負しているし実際歌もダンスも華があるのだが、21年以前からSPARK観てるアルターの客からは主にトンチキなぞなぞ坊やとして愛されているところによさがあります。パーフェクトなプリンスのガワに少年のチャームが詰まっていてね。11日昼のおそらく今シーズン初なぞなぞ回を観たのですが、マシューが「だからこそ…」と溜めた一瞬あきらかに客席の温度が上がった体感があり、よかったです。
チームの王子様、合同のサムアバでは當間マシューに首根っこを掴み上げられて妙な鳴き声を発しており、とはいえミニオンの国の王子様だったんだね……と思ってうれしかった。

若松マーク
前回からさらにパワーアップして、パワフルで貪欲で傷すら乗り越えて、エピファニーではさらけ出す自分の感情と、客席に対して訴えかけるもののバランスが素晴らしい表現力。若松マークのエピファニーは怒りと反骨精神に満ちた、私たちと一緒に戦ってくれるエピファニーなんだよね。
そして懺悔ぶん回しに寸劇に最後の甲子園に剛腕の〆、誰よりも声がでかくてかわいくて大好き。23からのABZ功労者ナンバーワン、合同ではフアンちゃんのディフェンスをかわして鍵マへの頬チューも成功させてこぶしを突き上げており、めでたい。
若松マークちゃんがマシューのことは好きだけどそれはそれとしてなぞなぞが意味不明すぎて激怒の叫びを上げているの、ほんとうに大好き。若松マークって女の子の友達100人いそうなので、マシューの変なところを友達に愚痴ってはやめなよそいつと言われ「でも顔がいいの~!」って泣いててほしいという話をずっとしています。

川原ルーク

23年には完成できなかったハンドスプリングを今年もチャレンジし、初日に成功させたのがSPARK2期目の祝福であった。その前に十字架のネックレスが絡まったとき、外してそこにキスしたときのよさ。全方位に視野が広くて、四か条やオチのめどのない寸劇やらあらぬ方向へ突っ走っていく単独の懺悔コーナーを締めてくれてたり、上手下手サイドにまでたくさん目線をくれたり(サイド上手入るときかなりうれしかった)。やっぱり歌のうまさがぴかいちなので、Callingの大サビが毎回楽しみだったし、よすぎて毎回ちょっと涙ぐんでいた。
サムアバの「パンツもいっぱい」のくだりで、マシューに対しそっと人差し指を立てるところの隠しきれない品、シャイで愛らしいしぐさも好き。はにかみやで品がよいのって脚本を素直に読んだら出てこないキャラクターなんだけれども、不思議といきなりでかい声を出し衝動的な動きをするのと調和していて、役者のパーソナリティと役の合致のさせかたが稀有で好きな造形。

米原フアン
異様なまでの音圧と華のある歌声で、ラヴィダ大サビのカタルシスがほんとうに大好き。米原さんのフアンちゃんって脚本上ではルークが客に絡んだあとで「まあ色々あったっちゅうことですな」とかとりなしてくれるところに表れているような、自分が前に出るよりも事故ってるときにフォローして回してくれる人の印象が強く、そしてなにしろ芝居がうまいのでラヴィダ前でこの人が立っていられなくなるとチームが総崩れになることへの説得力がある。
チームの形もあると思うけど、一度も怒りの感情を見せることがなくておおむねずっと楽しそうにけらけら笑ってるやさしいお兄ちゃんで、イントロダクションの全開笑顔といい、どんどん米原さんならではのフアン像が確立されていてうれしいね。米原フアンってもう全然アクロとかやらなくても成立するキャラクターになっている(そもそもブレイクは植木豪さんの特殊技能であって、フアンちゃんのキャラクター要素ではない)と思うのですが、あえてきついことやり続けているのも本当に敬服する。
もともと私は19年に米原幸佑さんがアルターボーイズに出演したことをきっかけとしてこの作品と出会ったのですが、21年23年25年と毎回「前回のフアンちゃんもよかったけど、やっぱり今回が一番いいな」と思っており、こんなに幸福なことはないです。私をアルターボーイズに連れてきてくれてありがとう。

和田アブラハム
毎年ちょっとずつ造形に変化があり、21年はまわりからちょっと浮いていて人間初心者みたいな雰囲気があったけど23年を経て今年は本当に細やかに周りに気を配っていて、ケアする年長者という雰囲気が強くなっていたのが好き。SPARKがメインの芝居の後ろにいるみんながなんかいつもぴったりくっついているイメージ、かたまりに見せているのってかなり和田アブちゃんの動きによるところが大きいなと思う。
ラヴィダでマークちゃんから助けを求められる前に走り出ていたり、ワゴンを運ぶルークに気を付けてと声かけてたり、I believeでみんなを責めるも悲しむもなくただ大切なものを語っているのもその延長で。とつとつとした語りに和田さんの声質がとっても合ってて好きだった。
SPARKではフアンちゃんとアブちゃんがチームのお兄ちゃんをやっていて、普段は全然頼りにならないと文句言われているけどいざとなるとみんなほんとは頼りにしていたことに気づく感じがかわいいよね。
歌も高音が通り、前回からぐっとよくなっていて嬉しい。それはそれとして童貞四か条といいながらウケなかったので四つ目飛ばして五つ目へ行ったり、セリフを飛ばし「何言うか忘れました!!!!」と宣言したりなどの迫力のあるターンも好きですよ。
 

アルターボーイズがアイドルグループだというのあまりピンときていなかったんだけど、今回のSPARKを観ていて納得しました。鍵本マシューがガップ前の口上に「俺たちのリズム”とみんなの歓声で”」と付け足したりフアンちゃんへのハッピーバースデーを「みんなも一緒に歌って!」とうながすのがわかりやすいけど、客席にいる人たちを前提的に味方として扱う、というチームの世界観をかなり自覚的につくっていたのかなという感じがした。

GOLDがショーマンとしてお客さんをもてなしてるのに対して、SPARKはアイドルなのでファンのみんなと素敵な時間をつくろうねをやっている。
このへん対比がおもしろく、アルターボーイズって神の教えを広めるためのボーイバンドグループだが、GOLDは「神の教えを広めるため」、SPARKは「ボーイバンドグループ」が各々太字になっているイメージ。
GOLDは全編ライブ仕立てのミュージカルショー、SPARKはそういう建て付けの演劇作品。GOLDはトップエース、SPARKはセンター。GOLDは個、SPARKは群。
GOLDは小ネタをがっちり作りこんで何言うか決めて出てくるしミスの回収は自分でが基本だが、SPARKは出たとこ勝負だがハチャメチャに滑っても基本全部拾って全員で傷だらけになる。
GOLDのコミュニケーションは必要な時にハグや目線を合わせるタイプだが、SPARKって待機時に真横でくっついているイメージ。
表にできるくらい対比。


特にラヴィダで対比が顕著だと思っているのと、一曲の中で物語が進むタイプのナンバーかつ、単純に好きすぎるのでラヴィダの話をします。
GOLDって何があってもショーを止めてはならない、ショーマストゴーオンのチームなので、大山マシューは泣いてしまったフアンちゃんに対して(俺がサプライズなんかやろうとしたせいでこんなことになって)ごめんと謝るし、みんなで繋いでおくから大丈夫だと言う。でもこれってずっと会いたかった両親がすでに死んでいることを知ったばかりのメンバーに対して今のうちに気持ちを立て直して本来の自分の役目を果たせという要求がなされている状況で。だからこそ曲中でフアンから他のメンバーへ拒絶とか怒りみたいな感情まで表出しうる。
けれども、実はフアンちゃん本人ですら"本当なら"どんなことがあっても客の前で動揺を見せたりなんかせずショーを続けなければならないのだということに疑問を持っていない。米原フアンが目を細めどこか遠くを見つめて祈るように歌うのに対して、松浦フアンは歌い出しから客席を見て懸命に笑顔をつくろうとして、そしてそれができなかったのでステージから逃げようとしている。ある意味でめちゃくちゃ厳しい世界なのだが、誰もそこに疑問を抱かないところがらしさだし、GOLDってだからこそというチームなので好き。

一方SPARKはみんなで寄り集まって嵐を乗り越えようとするさまが本当にかわいい。
フアンちゃんがいなくなったらショーは止めるよぜんぜん。
曲前の「わかるかい、こういう試練のときにこそ僕たちの揺るぎない信念が重要なんだ」っていうセリフ、大山マシューはフアンちゃんに向かって言っているのだが、鍵本マシューは客席に向かって「いいかい」と語りかけてからフアンちゃんを迎えにいって「こういう試練のときにこそ……」と続けていて、完全に客に対する「フアンちゃんのために、みんなも何をすべきかわかるよね」という要求だし、アブちゃんはフアンちゃんをなぐさめるために歌うし、だから米原フアンは逃げようとはしていてもメンバーに対してキツく当たりようがない、SPARKが言っているのは「お願いフアンちゃん僕たちの前からいなくならないで」だから……。
メンバー優先になるというか、客席も仲間として巻き込んでくるチームなんだよな、という良さがありますね。SPARKのラヴィダはおおむねプリキュア映画システムなので、客席に座っている我々もなにかを動かしたのだという体験を与えてくれる。

ぼくたちを応援してねというのは別に宣教ではないんだよな~というのもおもしろい。
スパークたちってナチュラルに信仰が身についているチームだな、と思うんですよね。自分もみんなも当たり前に信仰を持ち合わせていて、自分たちが歌をうたって伝えさえすれば、あるはずの神への心を自然に思い出すよね?というのを疑っていない、ある種の純朴さがある。
彼らの在り方そのものこそが宣教であり、この物語こそが神の試練である。彼らを含む数百の魂の浄化のためのコンサートであった、っていうのが、最終的にわかる作りだなと思っています。

演劇的にI believeに到達するために、かなり癒着した、ペタペタしたひとかたまりのチームを作ってるんじゃないかな、と思うんですよね。
I believeって、元々マシューがイエス・キリストに向けて書いた歌なんだけれども、それを表現する時に、「僕のとっても親しい友人に向けた歌」という言い方をしていた。それはマークちゃんの恋心が破れて残念のシーンと思わせておいて、最終的にアブちゃんが歌詞をひらめいて歌う時「君と共に歩む 君らと進む 信じてる君を」の「君」が、隣にいる友達のこと、チームメンバーになっているという、意味がすり替わってしまっているおかしみがあるようにも読み取れる。
日本だと、割とその辺りが曖昧というか、どちらかというともう完全にチームメンバーのことなんじゃないかなっていう作り方が多かったし、私にもキリスト教の信仰があるわけではないので、それを普通に受け取っていたんですけれども。

スパークの動きとしては、ひとりひとりアブちゃんのそばに寄り、こぶしを合わせたり不器用に握手をしたりのあとは、一人一人等間隔に、まっすぐ前を向いて立って、神様の声が聞こえてくる方向に向けて歌を歌っている。
今まではずっとお互い寄り添ってくっついているチームだったがために、この祈りが印象的な立ち姿となっている。
これって懺悔・告解、祈りの形だと思う。「私たちの罪を許すのは懺悔を聞いてくれる神父ではなく懺悔そのものなのだ」という言葉の通り、アブちゃんにではなくて天に向かって歌っている。アブちゃんはもう許しているし、彼らの顔をそっと見て静かにその歌を聞いているだけなのもいい。だからこそマシューが戻り、五人が揃ったあとの「君と共に歩む」「信じてる君を」の「君」が、ちゃんと隣の友達でもあり、神のことでもある、と見せてくれているのだろうなと受け取っている。
その意図ではなくても、立ちかたによる芝居の緩急がすばらしかった。
それはそれとして、スパークが四六時中ぺたぺた仲の良いミニオンのような群のチームであるのが、それだけでかなりうれしかったです。


SAPPHIRE

當間マシュー
博愛のマシューだ……と思った。マークちゃんの思いには鈍感でみんなのことを愛している。結婚を前提としていたり公式ビジネスカップルだったりするマシューとマークばっかり見てたから、初々しくてかわいかった。脚本のマシューとマークってこうかも。優しくて穏やかで茶目っけもあって、信仰心があるだけの普通の青年が、たまたま彫刻のような容姿と美しい歌声を持ち合わせているギャップが好ましかった。エンジェルのお膝にジャケットをかけてあげる紳士さ花丸。

横山マーク
まだ世界に対しての憤りが強く怒りの縁にあるマークちゃん、とがったエピファニーが印象的だった。マークというキャラクター自体21年くらいからどんどんフラットに演じられるようになってきていると思うのですが、それはそれとして大音マークも若松マークも一目でわかる我の強さそしてクセの強さ(だいすき)って感じではあるので、横山マークのナチュラルな今時の男の子感が新鮮でよかった。合同では心を許しているのがチームの面々のみというのが如実にわかった。これから歳を重ねてどう変化していくのだろうと楽しみになる。

有馬フアン
あまりにキュートな末っ子、これがラヴィダでくちゃくちゃになっちゃっており、他メンバーも余裕がないあまりどこのチームよりも「受難」「神からの試練」でひどく厳しい目にあうのは見ていてつらいのですが、物語としては正しい、いいつくりだった。観客から「もう舞台上にあがってショーを止めようかと思った」という感想が複数出てたのすごかったよね。本編ずっとキュートなハイトーン少年ボイスでやっているのにメドレーのラヴィダはちょっとかっこいい声で歌っていたのかわいすぎる。

東山ルーク
安定も大安定、支えてくれて頼もしい~。ボディマイのあおりは気持ちよく乗れて歌が当然自然体に上手、このチームにいてくれてよかったな、と思います。フィッツの「ひざ」のとき、ヤンキーの子犬のフアンちゃんになつかれてるヤンキーの兄貴分なのが好きだった。キャスト発表されたときズルじゃんと思ったけど完璧に必要なズルでしたね。40代からのニューフェイスアルターボーイ、かなり我々の希望の星です。これからもどんどんズルのキャスティングしてほしい。

百名アブラハム
おもしれ~男。めちゃくちゃ動けてぐるぐる回れて小ネタの仕込みも細かく、とにかくずっとうるさくて好き。作為があって世渡り上手、「ユダヤ人のアブラハム」ってむしろこっちがスタンダードのはずだよねというステレオタイプをきっちり見せてくれていたのと、ラスト、アイビリの前の独白が説得というか説教なのが初めて聞くタイプ過ぎてはしゃいじゃったし、そんな強気にでていたのが最後にはどんどん弱くべちょべちょになっちゃうという作り、かなりよかった。


みなさん初アルターのチームが演じてくれるチーム、アルターボーイズという演目をフラットに観劇できてとても楽しかった。また五人ともお芝居を拝見するのが今回初めてだったため、役者のパーソナリティを芝居に重ねることなくキャラクターとして観るアルター、新鮮でよい体験でした。
アルターという演目が初めてとは言っても各人のダンスや歌のスキルは全体的にハイレベルで、でもスキルで押し切ろうぜというところがなく、脚本をしっかり読み込んでその上で五人の関係性を作ってくれているのが随所に感じ取れた。
お若い四人の初々しさがきらきらしていて、ベテランの東山さんがさりげなくフォローに回ってくれる安心感もあり、當間マシューの言っていたようにSPARKとは違うバランスのいいチームでした。
私が拝見したのは前半戦だったためか、マシューが個性的な四人の中心で、はにかみながらたたずんでいるように見えた。四人をまとめるというよりもチームの中心にいて四人を受け入れているような。けれど消極的に過ぎるというわけではなく全員への愛を感じられてきっちり要石として存在しているチームで印象がよかった。
一方合同では本公演の印象よりのびやかに仲がよくなっていて、最終公演までの8公演でこんなに"成長"するなんてすばらしいことだ。アフタートークでは周囲に先輩たちがいてくれる安心感があったというお話も聞いた。緊張が解れて楽しそうに個性が発揮できたの合同公演のいいかたちだ。どうかこのままこれを持ち帰って、また次の単独もやってほしい。
これは思い出の話、伝説のエンジェル義久回を見たので功労者百名アブちゃんに大拍手。そして當間マシューは座ってるのが東山義久でも怯まず徹頭徹尾エンジェルちゃんとして扱い肩を抱いて口説いていたの本当にえらかった。そしてなぜか気まずそうなルークにニッコリ。

 

 

合同公演

本編通りのシナリオを複数人で演じる奇祭だしなんでそんなことになっているのかは演者も客も誰もわかっていないのだが、チームとしては各カラーをみせつけのびのびと張り合い、トリプルキャストとしては自分の分身がいることで勇気づけられ、横並びで違う世界線の感情の動き演出の違いを一度に観られるのが豪華でぜいたくでおもしろい。
あんなにもわけわからん大爆笑懺悔コーナーにサムアバからの、epiphanyI believeでは3チームの演技の差が如実に見られるの、とてもすごい。
同公演同演出で、あれだけまったくの別物の演技プランを組み立ててもいいんだ。どう考えても三チーム同役でも衣装からなにからまるで別人なのってものすごくおもしろくてうれしい。
三チームあることに意味があり、これからも成長していくアルターボーイズを感じました。

とっても楽しかった。
ありがとうアルターボーイズ。みんな大好きになっちゃったよ。どうにか十五人揃って帰ってきてもらえないだろうか。もっと欲を言うならまた有楽町で会いたいな、ありがとう。待っているよ。

 

 

 

『Multi-Unit Apartment』感想

マルチユニットアパートメント~!

全部好き。全部好きだよ~!

 

楽しくて明るくてポップでキュートでエネルギッシュで、ファンタジーみたいな部分と現実ってそうよねが接続していて、出てくるみんなが愛しくてこの先の「ひみつ」を絶対教えてほしくて……本当に楽しい舞台だよ~!

始まる前から絶対好きだろうな~と思っていたけど想像以上にやっぱり好きで、ありがとう……品川に通い続けています。

 

私は三浦香さんが好きでスレイジーとライカが好きでフルハウスオーシャンズ8も好きな人間なので、好きなもの全部が特盛りになっている本作、感謝しかない。

好きな作演出が自分の色を存分に出しつつ、めいっぱいたのしいコメディで人間関係をフルハウスみたいにつくってくれてるのも、趣味も違うみんなに裏の顔があって全員で結託して男に復讐してくれるというオーシャンズ8的なスカッとした最後も、それを好きな役者がやってくれるってこともうれしい。さらには女性の演出家が自分のやりたいこと、メインターゲットの女性が観たい物をマジで考えて作ってくれた感じが嬉しくて……

 

お話の筋とキャラクターについては、本編を見ても公式サイトに書いてあるあらすじと人物紹介がほぼすべて、だいたいぜんぶ説明されているが、あらすじと人物紹介じゃぜんぜん説明できていない。言葉にすればそうなのかもしれないが……そうなる!?

動いて会話しての人間同士のやりとりこそがおもしろすぎて欠点まで魅力的なので、言葉で説明したところでとりこぼすところが多すぎる。百聞は一見にしかず。

キャラクターが全員揃うまでのいわば「このアパートメントについて」のパートだけでもう百点で、楽しかったシーン細かく言っていくときりがないけど、シャネルにプロレスにわしゃこの場所が好きじゃに……そう、イザベラが大好き。

この話のよさが詰まってる。

7人分の結婚詐欺を一曲のうちにやるところも気持ちがいい。そこは本筋じゃないし、全員がサクサク落ちていきガンガン金払っていくのも楽しすぎる。三浦さんの作品にはよくあることだけど、曲の長めの間奏のあいだにあらゆる物語が展開していくのもかなり好き。

 

そして男性の俳優が演じる女性の男装がまた……よかったね~!

見るまではキービジュアルの雰囲気から、メイクを落とすことで女性→男性を表現するのかなと思っていたら、お化粧も振る舞いも宝塚とか男装喫茶とかの系譜でとびでてきてくれて……No*1の第一声で、これまで見たことないものがでてきたがこれが正解だということだけはわかった。アヴァ様演じる「男役」ったらこの世に存在しない格好いい男で……他も続々と、おもしれ~女たちが演じる理想のメロい男が登場してきて、こんなカタルシスがあるのか。

男装のままで素が出てるところが一番違和感をおぼえそうなところだけど、そこもむしろギャップでよりチャーミングになってた。

女性が演じることのできる演目をわざわざ男性でやる意義ってどういうものなんだろうな~と思っていたが全部夢だった。俳優さんのファンがたくさん見に来る舞台、自分の好きな俳優がさ、自分の属性をやってくれることってちょっとすごいかも。

わずかでも女をやっていることの舐めや茶化しが見えたら萎える難しいところを一切手を抜かずにやってくれるの、好きな人たちが自分の属性を理解しようとしてくれてるうれしさもある。

 

なんでしょうね、あんなに破天荒でハチャメチャなのにみんな血肉が通ってて「こういう人、いる」ってなる。話の筋はフィクションだが、人間の感情や世界ってこういうものだよね、というのはノンフィクションで作為がないからかな。

こんなにキュートで明るくて楽しいエンタメだけど「女を人間だと思っていないので、男(の姿をした人)に諭されてはじめて悔い改める」をスッと差し込まれたの、たまんねえ~!サイコ~!になった。

 

あとこれは多分男女とか関係なく「共同体で長いこといっしょにいたら気に食わんところも出てくるし細かいことで言い合うし率直に嫌いな人間もいるが、お互いに最低限大事なところは尊重するでしょ」とか「人間を助けるときの善意に打算が含まれていることも十分にあるが、嫌いなやつでもひどい目にあってたら慰めるでしょ」という人間の悪さと良さを美化しないし露悪にしないし。

 

ひどい話を書こうという意欲というかある種のいやらしさみたいなものがまるで感じられず、単に事実として世界のかたちってそうだよねをぽんと放り込んでくるのが好きだ。



そしてもうこれは全員思っていることだろうが、ここできれいなエンドロールもできたはずなのに「ひみつ」の提示をしてくるものだから……絶対に続きをやってくれなきゃ嫌だしBlu-rayも出してくれなきゃ嫌だ……!

こちとら三浦香さんが役者個々人に別々の「ひみつ」を持たせていることを知っているんですよ!

 

もっとも「ひみつ」のヒキがなくとも、あの世界がこれっきりなのはもったいなさすぎるしマルチユニットアパートメントの日常だけでもず~っと見ていられるから、どうにか続きをやってほしいです。

今回だって見る前から好きだろうな~と思っていたのに、見たら予想をはるか超えて好きすぎて、どんどんチケット増やしていってしまった。

次はこの好きな状態から始める、もう肩はあったまってます。よろしくお願いします……!




以下は三浦香さんのおたくの感想です。過去作に言及しています。

マルアパってこれまでに上演されてきた三浦香脚本のオリジナル舞台での積み重ねを感じますし、今回それらを踏まえてさらに大きく飛躍しておもしろくて、とってもうれしい~! 

 

パフォーマーと涙の話

三浦さんが脚本書いているからそれはそうなんだけど、オスカーの口説き文句がClubSLAZYのパフォーマーが曲終わりに言う決めぜりふっぽくて、あれを戯画化しているようだな、と少しおもしろかった。特にスレイジー1とか2のころの「格好いいせりふ」って気恥ずかしい思いがしたのだが、オスカーのそれは笑っていいのだ。からっぽでおおげさでおもしろいもの。

スレイジーってどんどん女の存在が消えていって、パフォーマーが自分のためにパフォーマンスをするという流れになっていったが、それってやっぱり自分を救えるのは自分だけということでもあるし、結局一夜きりの実在を定めていない人間に対して、心からの愛の言葉をささやかせるのって難しいということでもあったのかもな。

レイジーたちに癒やされる女視点で言えば、ステージ上にいる男は女の理想としての男というたてつけではあったけど結局ステージ下の私たちとは見知らぬ二人のままの他人であって、女を追ってステージから下りることは御法度で、観賞用の男たちだったし。

このとき女の涙はガーネットにたまるもので、愛が乾かないようにするもので、泣いてもいいが涙に別れを告げるもの、泣くことは癒やしであったね。

 

それを踏まえてDust Bunny Showや×純文学少女歌劇団というオールフィメール舞台があったのかも。

Dust Bunny Showは豪華客船にとらわれたパフォーマーたちが自分自身の手綱を取り戻し出航する話、いずれも自分自身のために演じる女性たち、これは映像が残っていないため詳細を確認できないのが悔やまれますが、自立してスキルのある大人の女たちがわんさか出てくるリッチな作品でうれしかった。これもクラブexで上演されたし……

 

×純文学少女歌劇団ってアイドルグループで、役名でアイドル活動しながら公演を行うというおもしろい試みをしていたのですが、ストーリー完結前に解散となってしまってとても惜しかった。

卒業したら結婚というお嬢様学校の女学生たちが、そうじゃなくなる過程の話を描いていて、学園の秘密を告発するために自分自身を演じるという話、男たちのためにかわいらしい女を演じるというアイドルというシステム告発の舞台だったのでめちゃめちゃ攻めていましたね……アイドルファンが9割、三浦香ファンが1割の舞台で……

そういうたてつけなので、×純文学では女の涙は嵐を起こすもので変革を起こすものとされていたので、能動的な意思があるって感動したんですよね。

 

そこからマルアパの歌詞「せめて泣いてる顔Show me」で主体が涙でなくてあなたの顔、あなたの行動になってる~! 

女の涙をぬぐうのは女であり自分自身なのだとしているの、うれしいね……

 

番外、そうするとGrief7では男同士のケアをやろうとしていたのかもな……と今思いました。
(Grief7は原作小説があるので厳密にはオリジナル舞台ではないのですが、舞台のために書き下ろされて舞台2作目で初めて小説が刊行されているうえ、原作から大幅に脚色・編集されていて三浦香さんのカラーを強く感じる作品です。未完、加藤さんが出演されています)

No*9としてのココがオスカーにやったのも擬似的なそれであったが、サムの歌う「愛の形は知らないけど涙の意味くらいはわかる」はそれだったし、加藤さん演じるカワイもカウンセラーでケアをやってて。

それが今回のNo*9とオスカーに重なりました。もっとも女性が演じる男性→男性へのケアなのだが……そういやこれって男性が演じる女性→客へのケアと同じ構図なのか?



"アメリカ"と価値の話

今回のアメリカってオーマイダイナーと同様の路線、フルハウスのころに見たような、ポップでキッチュで、少し懐かしい憧れの自由の国、もはやファンタジーと知ってしまっているけれどそれだからこそ意味がある、カモンベイビーアメリカ的世界観で作られているお話、みんな知っているのに新鮮でもある。

シビアではあるけれど、夢追いかけてきらきらしてて……

 

そしてこれは真反対、Grief7も舞台がロサンゼルスだが、こっちはカラーが全体的にカーキとグレーと黒のアメリカ。脚本と劇中歌は三浦さんですが演出が別の人なのですが、もしかしたら三浦さんが想定していたのはこの暗い話を、突き抜けた明るさでやったものだったのかな。構想時点では日本版シカゴをやろうとしていたようだし。

(そういやマルアパってシカゴみたいなことやるのかな?って話していたらセットがセルブロックタンゴみたいではしゃいでしまった。余談)

で、2作目にプリティーウーマンのモチーフがあるが、これは救いがない。プリティーウーマンにあこがれる男娼の青年エヴァンで、オープニングのココのナンバーに近い歌を歌うんだけど……ココが歌うのは「私に価値をつけていいのは私と未来のプリンスだけ」なのに対して、エヴァンの歌は「誰か僕に価値をつけて」。

「価値」も三浦香さんの脚本の頻出語句と認識していて、スレイジーにも出てくるが、自分で自分の価値を見いださなければいけないと言う話、ココも未来のプリンスに価値をつけてもらおうとしたから「金」で「内臓」という価値をつけられてしまったということなのだと思う。

しかしココのプリティーウーマンの引用って嘘ではないが芯食ってないのがすごい。女の子がお金と恋できれいになる話、そうっちゃそうっすけど……エヴァンはかなり具体的にリチャードギア想定の男に恋をしていたが、ココは相手の男のことなんてどうでもいいようなイメージを受ける。
彼女の「ひみつ」からすると意図的にやっていると思う。

【追記】
終わってみるとオスカーが女のことを人間扱いせず区別してないのと同様、ココもオスカーのことをたまたまそこに来て自分を肯定してくれるプリンスとしてしか見ていなかったからプリティーウーマンの認識も雑だったんだ(プリティーウーマン、全体的に令和の世で肯定できるような内容ではないから、雑認識としてのみ用いるのは正解だと思う)。
オスカーが、自分のことを人間扱いしてくれる人なんていないと言ったことで、ココの側もプリンス役の男ではなくただ一人の人間に対して「あなたのことを教えて」と、相互理解の一歩を踏み出したんだなと思った。

 

「ひみつ」の話

LikeAというひみつを残したまま終わってしまったストーリーの先にこれがあるの、今度こそ教えてよ……!という気持ちになる。いやまだLikeAのこともあきらめてないけど。

ビビだけがひみつを持っていないの、いやがおうにもLikeAのBBのことを思い出しちゃうし、知らないままにひみつの核を担っているのはビビなのかもしれない。

 

アパートがもうとっくに壊れているのも気になるんだよね。失恋と壊れたといえば「この胸はもう既に壊れていたのさ」なのですが……すでに壊れていたらこれ以上壊れようがないから、アパートが壊れたことによる解散がないのかもしれない。

もしくは不在のroom4は既に部屋ごと壊れてなくなってしまっているのかも。

room4がないの、LikeAと同じだね。

 

パンフレットに英文で堂々載ってるひみつは表層部分のブラフにすぎなくて、あらゆるひみつがまだ隠れているのかもしれないね……たのしみだね。たのしみだから続きをやって。

『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-』Rule the Stage《Mix Tape1 Revenge》 感想

アカバネとアサクサが大好きなオタクです(伏線)。

卒業後も「はやくMixTape再演こないかな~」「最悪戯曲だけでもいいよいいよ」と友達と言い合いつつ、すでにないものを待ちながら一生過ごすのだろうねえと思うとでもなし思っていたところに、来たからさ。来るの!??!

3年待って、観たいものがすべてあって、期待していた以上におもしろくて、観たらもうこれしかないって内容で……感慨もひとしおで……。

アカバネが出てきてくれて嬉しいしたくさん見せてもらって日夜四六時中わけがわからなくなりつづけているのは大前提として、待ってたからとか好きなキャラクターが出てくるからとかを抜きにしても、またしても違うラインのおもしろさのヒプステを出してくれたので、それが本当にうれしい。
バトルじゃないラップで一件落着させる話を2022年の時点でやろうとしていたのかという意味でも感慨深いし、レップライブの芝居パートが大好きなので、単純にあのテイストを楽曲交えて二時間やってくれるのがとってもハッピーです。
ハマサカfeat道ダイとテイストが違いすぎて、コミカライズならfeatとMixtapeで違う漫画家さんがやってるやつだろうにクリエイターチームが同じ!? 手数が多い……!

 


ヨコハマ
前回今回と連続でヨコハマが出ていたことで、余計にカラーの違いを感じた。
ハマサカ道ダイ、発展途上のダークヒーローというたてつけのもと、一般市民に対して言い訳も聞かず平然と私刑を行うマジ反社の部分含めて碧棺左馬刻のことを描いているのかなり踏み込んでいてシナリオに好感を持ったが、今回は一転、そういう男がコミカルにひどい目にあうとおもしろいをやってるのが素直に楽しく好きだった。
どんな場面でも格好つけようとしている男のやせ我慢というのはハードボイルドの美学で格好いいのだが、ある意味ではこっけいである、というところまで植原さんYUKIさんが魅力にしている。
理鶯はある意味ぶれなくて、みんなだいすきブートキャンプは最高だった(話を聞かない男サマトキサマの上を行く話を聞かなさも大好き)のに加え、左馬刻の登場で口上を述べるところがかなりよく……格好をつけないのに格好がつく男だ。そんな大人の三人が大人のまま仲いいんだろうなと感じさせるいいバランスのチームね。
そんなテイストだからシブヤとちょうどよく馴染んでいたというところもあるのかも。

 

シブヤ
まず印象的なのが乱数、すばらしかったな。まだ新しいアプローチがあるんだ。世古口乱数は中王区の望むまま"かわいい"として誕生してやってこざるを得なかった生き物、安井乱数は生存戦略としての技術かわいいを後天的に体得した男、三井乱数は優秀な個体すぎてかわいいを完全にエミュレートできてしまったミュータントって感じで。
四六時中繰り出されるかわいいの手数百連発、生きのびたいが同時に飽きているの、featでどんな面を見せてくれるんだ~!楽しみです。
幻太郎はきれい~なおねえさん的風貌に"弟"が搭載されているのを感じた。悪ノリしちゃってフツーに楽しくなっちゃうのが乱数とタメのダチ感があり新しい雰囲気だ。帝統はがさつで体幹強い雰囲気が強くなっててかわいい男だ。過去が過去でも陰っぽいところがまるでなくて陽のまま突き進んでいる感じがするねえ、バトルマスター!俺!ってコーレスとパワー曲になってるのも似合ってた。
シブヤには今まできれいめノーブルふわふわ浮世離れの空気を感じていたので、背景にはいろいろあれど、歳近い男の子が三人寄り集まった実在感が強いシブヤなの新鮮だ。
嘘というキーワードで彼らの距離感が描かれるのもいい脚本だった。今の彼らってまだこの距離感の頃なのねというのもわかるし。


正親町さんチーム&DDB
正親町さん、本当に今回も「これ」というキャラクターとして出てきて私は……正親町さんのことも、どんなキャラクターか知らないうち、写真1枚とセリフひとつ(「ええ~僕ですか~!?」)のころからずっと待っていましたよ……
幕が開けてみればいつもの通りこれしかない亀田さんはすごいぜの人物像だ。ヨコハマで生まれ育ち、父親から嘘をつかず正しく生きろと教えられて、素直に実直に生きてきた人間、ヨコハマともシブヤともアカバネとも対比になる。マイクを持たない善良な一般市民、稀有だ。
父親が正しく生き(おそらく)天寿を全うしており、それをロールモデルとして生きられているというのはアドだが、それにしたって弱いから弱く生きているのではなく根っこには善良をやるという頑固までの気概があるのがすごいんだろうな。H歴で優しいまま生きるには意思がいる。あんだけ頑固に嘘は嫌だ!って人だからこそ、最後みんなで嘘を本当にするライブが始まるわけだし。

もっとも店を取られて雇用関係じゃなくなってもついてきてくれる善良な従業員くん(かわいいね!)がいるのは人徳+運のよさだと思う。彼ってDDBのHILOMUさんが当然のようにこなしているが、本職ダンサーの人の芝居がうまいのなんでなんでしょうね。HILOMUさんに限らずDDB、ばちばちに踊り続けそれだけで公演になるパフォーマンスみせてくれるだけでも十二分の活躍なのに、モブの域を超えたキャラクター(ex.糸の会幹部)をやっててすごい。愛すべき1キャラクターなので従業員くんの名前も教えて下さい。
とはいえ、脚本上存在しなくても物語は成立するのであるが、あえて出してあんだけセリフとシーンがある(うれしいね!)の、堂庵和聖がtrack1でなにもかも失ったあとも、なぜか勝手についてきて奉仕する蛇穴と狐久里との対比なのかも……

 

アカバネ
そう、アカバネなのですが……あまりにも"すべて"を見せてもらったので、逆にもう言うことがなく……
ちょこちょことしたコメディ(一仕事終えてるんるんで帰ってきたら家に左馬刻が来てて悲鳴を上げる狐久里、狐久里を生贄に差し出してその場を収めようとするDL、聞いたことないはずなのにもう100回聞いたせりふすぎる狐久里の「なんで俺だけなんだよ!」、「ボスが心配するようなことはなにもありません」←ある)もあったし、強い力の前に膝をついても屈しない堂庵和聖の気高さもあったし、オタクが全員聞きたがってたせりふ「俺の街でなにをしている」「俺になにを隠してる」などもあったし……

2022年に中止になって以降、友達とよくMixtape内容大予想の与太話をしていましたが、アカバネのこれからの話をするんだったら「AADを経て(鬼灯甚八と出会い強さを認められたことで)街の頭としてやっていく覚悟を新たに強くした堂庵和聖が、ままならない現実、未だに弱いおのれに苦悩しながら、それでも……と前を向く」話が要るよね〜というのはあくまでアカバネのオタクだからそう思うのであって、ほんとにやってくれるとは…………ありがとう…………


North Bastard というチーム、弱かった己からどこまでも強くあろうとする凛々しく気高い十九歳と、倫理の彼岸の獣たちで、よかった。

堂庵和聖はずっと「まだわからねえのか!」って怒ってたけど、今回MixTapeを見て蛇と狐がわかることは一生ないんだなあという確信が深まりました。ボスが騙し取ったお金と店の権利書を返してあげてるとき、まだ「なにしてるんですか!?」と本気で思っていて……真っ当な手段(詐欺・賭博など)で真っ当に稼いだ我々の(=ボスのための)お金だったのにね〜暴行と恐喝や強奪はダメと言われたから素直に言うことも聞いたし……
蛇穴と狐久里がいつのまにか大層いいコンビになっていたのもよかったですね〜2人とも別々の恵まれた才能を持っていたのでお互いの得意なことを持ち寄ってボスのために(悪事を)はたらいていて。この2人声質とか踊り方も全然違って合わないようでいてバランスよくて、よってたかって帝統くんをいじめる曲もえらい楽しそうでよかったです。

蛇穴と狐久里、堂庵和聖の倫理がほんとうにわからないんだというところが好きで。もっともボスの側も、蛇と狐にはほんとうにわからないんだということがわからないので……

あるいは、堂庵和聖は強者が弱者を搾取する世の中などあってはならないと言い、狐久里と蛇穴は「この世界の理なら弱肉強食」とか「持たざる者は足下を見られる」などとボスの信条に真っ向から反している。
一生全力相互不理解で、それでも三人でひとつのチームとしてい続けていること、本当に物語が続いたゆえの奇跡というか、ほとんど異常事態でありがたい。
それこそ縁と愛なのかもしれませんね。蛇穴はどう思う?

堂庵和聖は 目の前の敵にも打ち勝てずチームすらろくにまとめられず どうして俺はこんなにも弱い と自分を責めていて、蛇穴と狐久里に言うことを聞かせられないのも自分の力が足りないせい、自分の責任だと考えているのだろうけれど、観た後に話した友人みんな満場一致で「ちがうよ〜」と言っていて愉快でした。
ボスがどうあれ蛇穴と狐久里が"ああ"なのは変わらないし、ほんとにわかってないだけでかなり言うこと聞いてるほうなんだよな〜
自身の責任の範囲を無限に拡張してなにもかも背負おうとするところ、そうして一度背負ったものは何であろうと決して下ろさないところ、キャラクターの魅力だしずっとそのままでいてほしい気持ちもあるが、19歳の青年だと思うとそんなに気負わなくていいと言いたくなってしまう気持ちもある。
でもまあおそらくこの後にアサクサの夏祭りで上がる花火をおだやかにほほえんで見上げる夜があるわけですからね……

それはそれとして堂庵和聖が弱いやつをいたぶって笑うんじゃねえ!みたいな怒りかたしてたのなんかほんとによくてじーんとしてしまった 弱いやつが強くなって叫ぶ言葉として……

 track1のときもそうだったけど、芝居としての側面の強いラップがものすごくよくて……音に合わせたうえで完璧に自然な感情がのっているの、芝居が上手い。歌も上手いし
ソロ曲がほぼラップじゃなく『歌』になっているの、本来・本質的に闘争の世界に身を置くことに全然むいてない性格なんだな……という感じがして好きだ。

左馬刻との戦闘においても一度勝負あったなと言われるところまで追い詰められてからギアが上がる(ある意味では最初から本気が出せない)の、性格的なむいてなさゆえなのかなあと思った。父さんが死んだ直後は常に追い詰められ続けていたからね……

堂庵和聖は自分の努力を努力とも思わず、苦労を苦労とも思わず、やわらかい裸足の足のまま茨の上をまっすぐに進んで、痛みよりもただ自分の歩みの遅さに腹を立てているような人だから……

この人って基本的に高潔で真面目で善良なのだが、異常なまでに理想が高くて完璧主義なので常にめちゃくちゃ焦っていて、それゆえ間違えたり失敗したりすることもあるのだろう(若者だ……)という印象をあらためて強くしたが、そういう堂庵和聖の人生に鬼灯甚八という男が現れてくれたこと、ほんとうに感謝しなければなりませんね……私はアカバネとアサクサが大好きなオタクなので強くそう思います(伏線回収)

https://x.com/SachikoNakahara/status/1944673166913376676

ナカサチさんもそう言っています。

MixTapeという潰えたと思っていた夢が見事に復活してすばらしいものを見せてもらったおかげで欲が出た、どうにかアサクサも出してほしい。あわよくばRepLiveアカバネ&アサクサをやってほしい。

『ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-』Rule the Stage 《MAD TRIGGER CREW & どついたれ本舗 feat. 道頓堀ダイバーズ》感想

ヒプノシスマイクルールザステージ2期、今回でしっかりとヒーロー群像劇、ヒプノシスマイクユニバース内ヒプステアースとしての方針を打ち出されている、と勝手に感じてわくわくしている。

1期オリジナルキャラクターたちがつくられた理由は、あらゆる立場の市井の人々を描いてH歴の解像度を上げるため、それに伴い原作キャラクターの理念を問う形になっていたと思うんだけど、2期からのオリジナルはハチオウジ、天都己姉妹、寶井灯依里/灰崎魔斗と、明確にヴィランぞろい。
もともとドラパ自体、悪い奴をぶっとばす形式の話が結構多いので、それを踏襲し原作に近づけたのかなと思っていたのだが、ぶっ飛ばしただけでは終われない後味の話が強く、これはヴィランを出すことで原作キャラクターの正義を問う形式にしたのだな……ヒーローものだ……と思うに至った。


そういうことでダーティな色が強く、ヨコハマが活躍しやすいフィールドになったなと思う。
これまでのヨコハマってサポート的な立ち位置が多くストーリーの中心になりづらかったのは、左馬刻も銃兎も理鶯も違法な暴力の手段を有しているからだったのかも。一期においてホビーアニメ的なあじつけをしようとするとノイズになってしまうから、オミットされていた部分なのかなと今になって思うよ。
今回は正面切って描かれているおかげで、GCに続きハードな話だった。左馬刻が私刑と拉致監禁やってるガチヤクザ、入間銃兎は私刑を目こぼしして裏でヤクザから被疑者を引き取る形で検挙率上げている悪徳警官という構図を出してくれたの、よくやってくれたと思う。
植原左馬刻とDDB舎弟、ちゃんと反社として説得力があってイヤでよかった。結果的に冤罪ではなかったが、普通に犯罪者の反社会的組織が犯罪行為をしているさまである。
ラストも「力に訴えるだけではダメなのでは?」という解が出かかったのに対し「パワーでゴリ押さないとダメだろ」って結論づけてしまったのも、そのせいで逃げられたのも”ヴィラン”に対する、物語の途中という現時点での態度として正解で良(りょう)。
悪に対してはマイクでもって力を行使するしかないという結論を出してなお、ディビジョンの代表であり強者であるがため、便宜上ヒーローになってしまうんだな……。

持つ者がヒーローに、持たざる者がヴィランとなっている構図を反復する2期がどこに行くかというと、本当のヒーローとは何かという答えに向かって行くのだろう。
本来めっちゃ難しい問いなのだが(一回ヒーローになりスーパーパワーを手に入れると簡単にはやめられないし……)ヒプノシスマイクにおいては「真正ヒプノシスマイクを手にする資格のある者とは」という問いに行き着くし、最終的にマイクを捨てるという解があるわけだから、見せてほしい、この物語の行き着く先を。

という意味で寶井灯依里にもめちゃめちゃグッときました。
スウィーニー・トッドでジキルとハイドでシザーハンズジャック・ザ・リッパー。ヨコハマってイギリスだったの……!?って何度も言ってしまった。あまりにもキャラクターがよかった。他のキャラクターと違って仲間がいなかったばかりにああなってしまった人間よ……。
と言う意味で何よりジョーカーだ。堂庵和聖や谷ケ崎伊吹は山田一郎の対比だったように、寳井灯依里って碧棺左馬刻の影なのかもな~碧棺左馬刻によるダークナイトだ。観たのはるか昔なのでいい加減なこと言うてる。でも(でも?)ヒプステ一期がマーベルだったら二期ってDCじゃんね。
灰崎魔斗というヒースレジャージョーカーの再来♡♡♡(関係ないがジョーカーのチキチキ鉛筆マジックが大好きなことを思い出したぜ)と沸いていますが、寶井灯依里がいるのだから、抑圧されていた弱者の反転としての2019年版JOKERでもあるね……続編観ていないのであれですが。
ブロマイドも、右目側、髪に隠れているけどほぼ黒で目の上に菱形にシャドウ入ってるし……
しかも理容師という髪を扱う職業の人が己の影を髪で隠しているのなら、灰崎という存在にまったくの無自覚ではないんじゃないのという気がしてしまうな。どこかで勘付いていても否定するように押し込めたからより影は深くなる……。かなり好きなので本番はこのメイクでないのちょっと残念ではありますが、さすがに善良なおにいさんのメイクがジョーカーになってたら入間銃兎も察するところがあるかもしれないもんな。

しかし「ダンスと歌と芝居とがぜんぶできる世界さんをひとり用意します」が実現してはじめて成立する公演だったな……他の役者さんたちもお芝居がグッとよくなりキャラクターになじんでいてめちゃよかったが、それにしたって世界さんが担わされている要素が多すぎる。「すげー役者を用意します」がスタートラインの舞台のことだいすきなのでうれしくなっちゃった。
去り際があまりに「Mato Haizaki will return -灰崎魔斗は帰ってくる-」の様式美だったので、はやく寶井と灰崎の行く末を見せてくれ~!という気持ち。

今回の道ダイちゃんについてはちょっと舞台装置だよ~と思うところがなくもなかったのだが、星野くんとナカサチさんのツイートでハルくんのバンダナはかつて弱い自分を隠すためのマスクだった(しかしもう顔を隠す必要なんてない)ことが明らかになって“意味”が出たぞ。
https://x.com/UtaYsr5/status/1919340402680709582
https://x.com/SachikoNakahara/status/1919342083669713354
https://x.com/SachikoNakahara/status/1919352199622062122

ヨコハマというゴッサムシティに誕生したジョーカーでトゥーフェイスの灰崎魔斗が、既に弱さを克服している小鳥遊ハル、仲間としての道頓堀ダイバーズを使役したがるのは必然だ。
結局今になっては、笑いのためにマイクを使い心根正しく生きている道頓堀ダイバーズが誰より強い。ヒーローマスクを捨てても三人集まれば無敵って知っているの、どのディビジョンより一歩先に行っているよ。これが既に主役が定められているヒプノシスマイクでなかったら道ダイちゃんが主役なのでは……? 政権を渡そう。
舞台装置じゃなくすと途端にあまりに大主役になっちゃうんだな、仲間とけんかすることがあっても根底で信頼しあっている成長過程の正しい若者だから。しかもハルくん潜在的にラップもバキバキに強いしな。役者さんがまたスキルアップしていたので劇中でのゾンビラップとライブパートでの2曲、3曲ともに違ったアプローチされているのよかったんだよな~

それで言うと灰崎は力こそがあるが根底は弱い、虚飾としての一枚のバンダナでしかないから……そりゃあ道ダイちゃんのことも気にくわないし、手駒にするための新しい制服も与えるよね……こう、力なき強者の道ダイちゃんおよびハルくんに灰崎が執着した先の展開を見たいのだが……


今回背景もめっちゃよかったね。スクリーンを背景として使う舞台として、舞台装置のなじませかたがヒプステに限らず今までに見たなかでもトップレベルに好き。
スクリーン背景ってどうしても書き割りに見えてしまうところを、路地や建物の間に縦ぶち抜き背景を入れることで屋外の景色として違和感なく見られた。
さらにH歴ヨコハマのご当地ものとしても細かくてうれしい。インターコンチ&大観覧車のステレオタイプもそれはそれで味があるけど、それらが意図的に廃されることで観光地じゃないヨコハマになっていたのかなりグッときた。
ヤク中たちをぶちのめすのは治安がよくない日ノ出町あたりだし、寶井灯依里の店は関内・日本大通りあたりのめちゃいい立地にある雰囲気だし、決戦はなんやかやで赤レンガ広場だし。おのおのにランドマークタワーはうつりこんでいてヨコハマって主張しながら、レンガ造りの路地裏やら森やらが追加されたサイバーパンクH歴、かなり見たかったヒプノシスマイク風景なのでうれしい。シブハマでも背景かなりいいじゃんって言ってたんだけどそれの発展系、架空歴史SFとして成立していた。
メインビジュアルから受けるイメージそのままなのもいいよな……ヨコハマの路地裏に発生した悪意。ゴッサムシティヨコハマ。
私はヨコハマの森がドラパ初手で出されたのって、H歴が現代日本とは異なる世界線の象徴と捉えているので森も大歓迎だ。しかしキリンがでてきたのは……なんでやろね……野毛山動物園も崩壊して野生化しているんだろうかね……。まああの動物がイメージ映像のジョークとして、子供の足で迷い込むくらいの距離という意味でも野毛山あたりが妥当なのかなという感じ。明治の時点だとまだだいぶ山っぽいし。昭和初期には耕地になっちゃってるが……現代日本との分岐ポイントが開国あたりかも。ヒプノシス通史は当然開示されないだろうが、亀田さんがどこだと想定してるかだけでもおしえてほしいな~。


という感想を書いていたあとに豪さんと世界さんの対談( https://www.pashplus.jp/interview/406077/ )が出てきたので"答え"だ、になった。

この対談を経てアメコミ映画的世界観でジョーカー的ヴィランの世界さんやってくれたの大正解の答え合わせだ。いやこのときすでに構想はあったんでしょう? 豪さんの夢すべてかなえたるスペシャル。
豪さんがベースにおいてる2.5がそのへんなのってとってもよくわかる(豪さん演出作品の告知映像っていつも2.5の文脈じゃなくハリウッド映画の予告編をやってくれてるな~って思うし、009のときもMCUフェーズ1を感じてうれしかった)
いろいろ実験を重ねた末のブラッシュアップされた最新のヒプステ、2ディビ+オリジナル知ってる形が知ってるのよりおもしろくなってた。1期2期役者さんはおのおの別の魅力がありますが、舞台効果はまだやるかってくらい盛りが派手になっているし、原作が進んでキャラクター自身の語れることが多くなり脚本もtrack+VSのいいとこどりになっていたし、続投DDBは純粋にまだやれること増えちゃうのかよ~理論上はわかるがなんでできるの?が山ほどあったし(話がそれるが、DDBモブとしての芝居もめちゃめちゃ多いし、ライブパートでキャラクターに絡んだり小芝居をしてくれたりでずっと楽しい。メインのうしろでやかましい芝居をしている人がだーいすき)。

2ディビ+オリジナル、掘り下げる登場人物の数として丁度いいし、ゲストや敵が出ることでストーリーも盛り上がるという意味で、やっぱりこの形式が基本で最強。ここからまだおもしろくできるんだといううれしさもある。
これからも楽しみにしています。