舞台ダブル 感想 

 

※原作漫画の内容にもけっこう触れてます

 

原作で発生しているエピソードはほぼ変更ないまま全く違う話をやっている。

表現媒体に応じて作品を最適な形に翻案している、演劇が題材の作品を演劇でやるということに対してものすごく真摯な舞台化で、しかもそれがしっかりおもしろい!

とっても嬉しかったので感想です。

 

原作漫画ダブル、かなり真剣に連載を追っている作品なので舞台化の報から戦々恐々だったのですが、つか作品も劇団の作演もやっていて若手俳優の演出がうまい中屋敷さんだし、開演してからの野田先生の盛り上がりを見て「信じるぞ!」の気持ちで向かってよかった。

ロビー真正面につかこうへいの写真&野田彩子画の「初級」ポスターが掲示されているし、紀伊国屋ホール小屋入りシーンの原画が飾られているし制作陣の「ここでやる意義」をガンガンに感じられて、もうこれは委ねようという気持ちになりました。

 

幕が開いたらまず舞台セットが多家良の部屋の具象だったのに驚き、全編通して一切部屋からでなかったことに二度驚いた。

舞台でよくある回想シーンみたいな小技を間に挟むこともなく、過去のできごとや部屋の外で起こったエピソードは登場人物のやりとりで説明されてお話は本当に部屋の中で完結していて脚本が上手。

この原作なのだから本番や稽古のシーンがほしくなりそうなところなのに、それを切り捨てていて潔い。でも舞台人たちが四六時中どこでも芝居をしてるし芝居の話をしているという形で劇中劇をとりいれるし、ちゃんとずっと演劇の話をやっていた。

舞台設定が多家良の家という、プライベートな空間なのも「意味」でよかったな。家主の多家良と一定以上の関係値の人しか入れないという制約があるため、ストーリーは多家良視点となるし語られる内容に自然と順位がつく。友仁さんとの関係が第一にあり、それと絡み合って演劇があり、その周縁に自分と関わる人間たちというグラデーションがあり、二時間で語る情報が整理されているのも発明じゃんと思いました。この形式を考えた人、本当にすごい。

 

余談ですが私は原作漫画ダブルの監督や演出家たちの描かれかたが好きです。演劇漫画における演出ってしばしば部活ものの顧問のように作品のための指導者として描かれがちなのですが、ダブルだと、それぞれものすごい実力者だったり、意見が対立しがちだったり、はたまた頼りなかったりと能力も性質もさまざまな人たち、決定権はあるけど俳優と同じ作品の制作者として描かれているのがとてもいい。

特に華江は亡き夫の跡を継ぐ形で演出家をしている中年の演出家で、こいつ演出で大丈夫なんか……?というところから、描写が進むとどんどん魅力的になっていく。「夫の再現でなく自分の表現をする」とふっきれた覚醒後は、役者に与える解釈のヒントも客に提示するビジュアルも意図が明確でセンスが良くて最高の女……

私は最近の漫画ダブルは「華江の初級、絶対成功してくれ〜!」と真剣に読んでいるので、推しはといわれれば華江です。劇場の客席入り口までの階段に華江が生き生きしていてめちゃいいシーンの複製原画が貼ってあり最高だったね。みんなみた?

なのでキャスト発表のときに「黒津監督は?華江は!?」となりましたが、結果的に全カットだったのはかなりよい判断だと思う。舞台だけ見ると華江は横暴な演出家に見えるが華江の覚醒はこれからだし、多家良の目から見る華江ってこんなもんだからなという納得がある。

漫画ダブルは舞台役者を主人公に据えて映画や演劇の制作場面も含めて人生のあらゆる場面を描いているが、舞台ダブルは舞台役者の舞台下に焦点を絞った話だもんね。

 

だから舞台ダブルの登場人物たちはこれだけ客に見られながら、一度も客の前に立ってないんだよな〜。そのため多家良が天才として客前にあらわれることもなくて、役者仲間に天才と言われたところで本人には全く響いていないことがわかる。

和田さんってフォルムはめちゃめちゃ多家良ですが、多家良にしては狂気がなく社会性がある印象を受けた。あの家の中=多家良の自認では、あれくらい他者と意味の通った受け答えをしているし、ちゃんと人間として生きているのかもしれない。今回の和田さんの芝居でよかったなと思うところって長い手足をもて余したような立ち姿やら目付きやらたたずまいの細やかな面で、天才ではない、途方にくれた男としての存在のしかたがハマってた。

一方でつかこうへいナイズな大声の芝居は喉が潰れてて大声出すの苦しそうだな~、という印象が強かった。井澤勇貴さんはケレンある口上をさらりとこなすし、友仁さんは発声も立ち方も基礎をやっている人が発散芝居やってるのが一目でわかり文句なしに抜群にうまい。

和田多家良、劇中劇よりも「芝居が好きで友仁さんが好きでずっと芝居にかじりついていたらなぜか売れちゃった……という男」という生身の人間としての宝田多家良の芝居が似合うので、舞台ダブルの立て付けにそぐうのだよな。スズナリで友仁さんを初めてみつけたときの顔こそが一番いいし、多家良一人称視点の多家良としてのありようではベスト。

 

しかし多家良視点の話だとすると、やっぱり友仁さんって芝居がめちゃめちゃにうまくて多家良にやさしくて世界で一番格好いいんだな……

多家良にソリョーヌイの香水のくだりの演技をさせる直前に背後から顎へ手を添えるときの目つき(ダブル2巻の表紙そのものですげえ!)や、ラストの鍋のシーンあたりのびっくりするくらい陰のある色っぽい顔、これまで「ふつうの男」「天才に嫉妬する凡才」の顔をしていたのが嘘のようにあやしい色気のある男になるのですごかった。役者ってすげ~。これはまあ……好きになっちゃうよな……一番輝いてたから……

役者ってすげ~だと飯谷さんも本当にすごかった。出てくるたび一瞬で空気を変えるしなにもかも持ってくし、彼がいないと話が回らないし。後輩に借金してへらへらしている馴れ馴れしいダメな先輩でもあるんだが、人を素直に褒めるしチャーミングだし「憎めない」が端々から伝わってきて本当に永島さんはすごい。作中で友仁と九十九さんが多家良に対し自分たちを「カレーライスの福神漬」と例えており、井澤さんはパンフレットで飯谷さんをさして「福神漬がないとイヤ」と言ってましたが私はこの福神漬ばかりおなかいっぱいたべたいよ。

そう、井澤さんもいい役だったな~

愛嬌がありハンサムで売れている芸能人だが、なんか全体的にちょっとずつ損している。それでも芝居を愛し楽しく明るく朗らかに生きていていいやつだ。友仁たちをたきつけて読み合わせさせてトイレのドアからこっそりのぞいている一番いいシーンも最高。一回ものすごくいい席に座れて多家良と友仁の頭の間から九十九さんがのぞいている画角でそれを見られてとてもよかった。

井澤さん、原作の九十九さんとは全然違うのでキャスト発表のときは意外だったのですが、蓋を開けてみたら原作の九十九さんとは全然違うのに、まさに九十九さんとしか言えない存在のしかたをしていてはまり役だった。

全員書いちゃうが、アキちゃんの造形、男に都合のいい女でもちょっと嫌な女でもなく、場への気遣いと我欲と友仁へ対する隠せない「コイツ……嫌いだな……」がいい匙加減で、すごく現実味のある存在感だった。現実に「いる」女で芝居がうめ~し、役者さん19歳!?になりました。すごすぎ。これから更に躍進されるの楽しみだなあ。冷田さんに普通に懐いているしお互いくっついて買い物行く塩梅も二人ともナチュラルで生身の感じが脚本と相まってよかった。女子同士だからねというか、あの面子だと年上のしっかりしたお姉さんの側が居やすいよねという空気がリアルで。

冷田さん、漫画よりも表情がくるくる動いててノリがよくて親身、漫画のおもしろいこと言ってても表情が大きく動かない冷静な雰囲気と結構違うんですが、これも多家良の視点だとこう見えていると思うとかわいくなっちゃうな。キュートでチャーミングな冷田さん。多家良は漫画内で冷田さんって友仁に似てると言ってるし。

 

思い返すに今回の役者さん、原作の印象を忠実に再現するのでなく、見た目も性格も役者本人の持ち味を強く出して舞台版としてのキャラクターをやっていたのも好きなタイプの舞台化だった。黒津監督は「役者同士の関係性はどうしたって芝居に反映される」といい、華江は「演者と役、2つの人生が板の上で重なって芝居が生まれる」と言ってた。演出の考え方が具体化された形の舞台化でよかったな……。

 

いや、主演の二人は見た目や体格もかなり原作ママだったな。メインビジュアル初出のときも「画:野田彩子の絵じゃん!」思いましたが、お互い座っているときのたたずまい、シルエットが野田先生の絵そのもので、だからこそ改めてこの二人って距離感がヤベえなということがわかりました。原作を見た目から再現することで発生する説得力がある。

前述の通り原作ダブルを熱心に読んでいますが、漫画自体がめちゃくちゃおもしれ~の次の感情として、前のめりポイントは「初級はどのような完成になるんだ、華江、成功してくれ~!」という部分なので、多家良と友仁のお互いへの感情に関しては、主人公たちだから最後で絶対に何かしらの解が提示されるだろうという安心感もあり「他人の恋……」という引きの目線で見ています。

なので多家良と友仁の関係が眼前で演じられることで、交際していない成人同士の世話の焼き方焼かれ方や懐きかたじゃなく、距離感がバグすぎていることが理解させられた。生身の人間って情報量が多い。

言葉を選ばずに言うと……多家良と友仁の距離ってキショいなと……。黒津監督が「そんな好きなら一回セックスしてみろ」的なことを言っていたのは本当に正しい。交際は別にしてもしなくてもいいが、寝てないであのべたべたしたパーソナルスペースゼロのグルーミングさあ……そのいびつさがダイレクトに伝わってくるの、生身の肉体がその場で演じるから発生するリアルな距離、芝居っておもしろいな~。

性欲があるのにおれはプラトニックをしますと言うのも、告白はするなと言いながら相手のことはぐじゃぐじゃに甘やかすのも、舞台をやり一流の役者になることでお互いのことをいつか全て知りたいし相手の全てになりたいねと言うのも、ぜ~~んぶキショいタイプの恋で最高すぎる。九十九さん、おまえらキツいよといいながら友達として付き合ってくれていて本当にいいやつだ。

今回のエンディング、実のところ初級をどのように作っていくかもお互いの関係性についてもな~んも解決していないまま、これからもず~っと芝居をしていこうね、おたがいにぜんぶわかりあうために~HAPPY END~で多家良からすれば夢のような話だ。友仁さんがおまえと芝居で対等になりたいねと言ってくれりゃそれは「いつまでも幸せに暮らしました」なんだろうな……多家良の部屋で、多家良の部屋というミニマムな場で起こる大団円としてこれ以上のものはない。

これって漫画の多家良と友仁だとありえないけど、舞台の二人だとそうなるなと思える展開なので、メディアミックスのよさを感じた。舞台友仁さんって原作よりベタ甘でね……。玉置さんの演じる友仁って漫画よりやわらかくて気難しいところが少ないし、脚本自体も友仁さんが多家良の一人暮らしの部屋に出入りしている具合が原作より多い。それに黒津監督編が描かれないので、多家良が友仁を「捨てた」のくだりがない。癒着が強い世界線として存在している二人だから説得力がある。一作の舞台作品として完結し、その作品ならではのエンドマークがちゃんとついているいい作品だった。