ミュージカル鉄鼠の檻 感想

 

17年以上前に京極夏彦作品を愛読しており、鵺の碑まで読み終わっている人間です。
とはいえここのところ旧作を読み返せておらず、鉄鼠もおぼろな記憶だけで観劇しました。芝居はそこそこ見るほうです。

鉄鼠の檻……おもしろい小説だな~!ということをわからせてくれたうえで、ミュージカル鉄鼠の檻という作品自体が楽しく良作で嬉しかった。自分に芝居という媒体が一番肌に合っているということもあるが、それにしたってあの分厚さをわかりやすくダイジェストにならずに京極夏彦作品としての雰囲気ごと伝えてくれたのすごすぎる。
一緒に行ったフォロワーの言「吟遊詩人の語る鉄鼠の檻ってこうかも」が的確なたとえだと思う。
舞台という表現媒体って基本的に観客と舞台上との時の流れが一致しているが、音楽によってそれを操作できるところがおもしろい。モノローグとして繊細に心情を開示すことで一秒を永遠にできたり、対話や語りにて物語のギアをあげ時の流れを凝縮できたりする。今回は後者の比率が高く、徹底的に叙事として歌があった。
どっちが好きかは人それぞれ好みだと思いますが、あらゆる情報を歌うことによって時間を折りたたみ構造を爆速で伝えられるの非常に心地よく、私は大好きなタイプのミュージカルでした。

音楽、生音のギターと二胡、かなりおもしろいし軽くて好きだった。音楽に詳しくないので滅多なことは言えないが、和音階のいかにも禅寺っぽい雰囲気にしなかったの、あらゆる宗派の集まった寺を舞台にした劇伴としてよかった。軽やかで現代的な音色も多いので冬の箱根の山奥の雰囲気とはまた違っているのだが、原作の文字がぎちぎちに詰まっているが意外と軽い雰囲気に近いなと思っています。
 
小説→舞台の翻案において、登場人物を地の文に忠実につくるべし、という形でないのも好感がもてる。舞台には地の文などないので、そこに提示されたものが真実だし、舞台の彼らとして必然性があり違和感なく存在していたのでいい。
レギュラーメンバーでいうと、京極堂はでかくてつよい。かなりうれしい。これまでもメディアミックスにより三次元に顕現した京極堂はだいたいでかくてつよかったのだが、このでかさで真ん中にいることの安心感がある。満を持して憑き物落としの装束で現れたときにアガりました。そしてヴィオラのように響きのある中低音の声が京極堂として非常にマッチしていた。この声で言われたらだいたい全部そうだなに思えてくる説得力のある、憑き物落としのための声。
バランスをとるように榎木津は小柄なビスクドールで可憐であったがちゃんと榎木津で、勝手にバックダンサーを引き連れて一曲ぶつの、一番いいシーンだったな~。好き勝手要らんことをしているが、余計なことはしないのでちゃんとしている。榎木津が本当に余計なことをすると尺が十倍になるからお話として困るしないほうが正しいのだが、それはそれとして要らんこと百個見たかったという気持ちもある。ミュージカル百器徒然袋をやってほしい。
関口は物わかりが良くおどおどしていないが、今回はしっかりと語り部なので胡乱をされて要らんところで信頼できない語り手になられても困るのである。そもそも関口は内面がぐずぐずしていて自認が胡乱なだけで、対人は暗いもののめちゃめちゃ破綻しているわけでもなかろうと思っているのでいいあんばいだった。
鳥口くんも性別変更されていながら周囲からの扱いが大きく変わらなくていいな。粗雑なわけではなく鳥口くんという人間に対してはこうよね。仕事はできるがちょっと調子がよく軽薄な人間なので。鉄鼠冒頭を読み返していると、敦子と鳥口の男女バディで恋愛感情なしがいいバランスなのでもったいなかったなと思う一方で、舞台でそのあわいを説明するの難しいだろうしなとも思う。

鉄鼠だけの登場人物としては、了稔に心をもっていかれた。小説ではもっと年配の若干脂身のある造形を想像していたのですが、こんなに魅力的でええんかってくらいよくて……最初の被害者だしほぼ回想や概念としてしかあらわれないのだが、舞台のセンターで不敵に片頬持ち上げるさま、一休宗純に例えられる破戒僧としての姿、終盤には箱庭の構築者の勝ち逃げだ~!!!という気持ちになり……舞台表現だからこそ見られた姿で……うれし……
常信和尚は小説では印象が薄かった人物なのですが、随所で芝居が上手すぎて目が離せなかったし、憑き物落としを受けてからの迷いがなくなって清廉なふるまいになってからぐっと好きさが増しました。歌も心地いいし。
仁秀はもうこんなの言わずもがなで……大変よかった……
いずれも芯のところでおさえるところがおさえられていて舞台の彼らとして違和感なく存在していてよかったな。

シーンとしては、禅というものは言葉で言い表せないものであるから最初から負けているのだ、というナンバーが印象的でした。一幕の終わりが京極堂が歌うこれなの「ミュージカル鉄鼠の檻」なんてどだい不可能なのだぞという大矛盾の自己言及を大盛り上がりのナンバーとして据えていて、しかも「だがそれでも」として歌うのが作中の京極堂の姿勢と一致している。ミュージカルという媒体と作品とが噛み合った気持ちのよさがあった。

随所に変更点もあるしイメージそのもの直球勝負ではないはずなのに、しっかりと京極夏彦作品の味、手触りがしていい作品でした。ありがとう……